「童貞の怠け息子を甘やかすとヒトラーになりますよ・・・」『我が闘争ーー若き日のアドルフ・ヒトラー』(ドイツ映画)
2009年ドイツ映画 原題„Mein Kampf“
ジョージ・タボリによる劇作品『我が闘争』の映画化。原作とは大筋では一緒だが、演出などは異なるようである。主演はトム・シリング。『コーヒーをめぐる冒険』で各賞を受賞したドイツのスター俳優。
アマゾン・プライムで視聴可能。レビューはかなりの不評。
ちなみにドイツ本国でも批評家などから不評。一般の反応は知らないが、おそらく不評。
いい部分はないか、ポイントはなんなのか探しながら見てみた。
映画で強調されるポイント
・ 童貞としての青年ヒトラー、彼の「純潔」への妄執
・ 怠惰さと大言壮語
面白いところ
・ユダヤ人が「ヤバイ青年」をのちのヒトラーに育て上げたとしたら・・・という設定
「奥手な芸大落第生」が「あのヒトラー」になった理由の一つの説明としては面白い・・・かもしれない。
ヒトラーをかっこいいと思っている人(いるとして)は見たら嫌な気持ちになるだろう。そこまででなくても『帰ってきたヒトラー』を見て、政治家としてはかっこいいかもと思ってしまった方は、これを見て中和してもいいかもしれない。
この映画もヒトラーの生い立ちまでは、事実を踏まえているので、その意味では参考になる。どこまでが事実を踏まえていて、どこからフィクションかを整理しながら、以下で詳しく内容を見ていく。
伝記・歴史物ではないが、歴史的背景は重要
青年ヒトラーが美術アカデミーに入学しようと、ハプスブルク帝国の首都ウィーンへ汽車でやってくるところから映画は始まる。観ていくとわかるがこの映画はヒトラーの伝記映画ではなく、もし青年ヒトラーがウィーン時代にユダヤ人と交流して、その中であのヒトラーに育っていったのだとしたらという設定。これはオリジナルの舞台も同じ設定。映画では、ユダヤ人シュロモがヒトラーの世話を焼いて甘やかす父親のような存在として描かれ、彼の働きかけでヒトラーが「政治」への道をたどっていく。
ユダヤ人シュロモとの交流などはフィクションだが、ときおり挿入されるヒトラーの家族関係や生い立ち、幼少期の性格などは伝記的事実に則っている。歴史的背景をいくつか確認しておこう。
ヒトラーはドイツ帝国ではなくオーストリア=ハンガリー帝国に生まれ育ったオーストリア人である。皇帝はドイツ系で、国の中心を動かすのもドイツ人だったが、オーストリア=ハンガリー帝国には多数の民族が住んでいて、首都ウィーンにはハンガリー人やチェコ人、そしてユダヤ人も多く住んでいた(ヒトラーがウィーンにいたころウィーンのユダヤ人は10%弱)。ウィーンに早くから移ってきたユダヤ人たちはすでにドイツ化を進め、金融業や商業(経営者)に携わるか、医者やジャーナリストなどの自由業についていた。現在のポーランドの方から遅れて移ってきたユダヤ人たちは、まだいかにもユダヤ人であり貧しい。映画に出てくるのは後者の方。
アードルフ・ヒトラーがウィーンに来るまで
次にヒトラーの家族関係や幼少期について。ヒトラーは、官吏をしていた父親と彼より20数歳も年下の母の間に生まれた(姪を妻にしたと推測されている)。父親は酒に酔って暴力を振るうタイプの人間だったらしく、ヒトラーもよく殴られた。この父が早死にした後、ヒトラーは幸福だった。父の遺族年金をもらって経済的には困らなかった母はヒトラーを甘やかした(少年ヒトラーはビアノを買ってもらったが数ヶ月で弾かなくなった)。ヒトラーはオペラ通いが趣味でワーグナーに憧れ大言壮語したが、怠け者で努力は嫌った。芸術アカデミー入学を目指すということで、母と叔母から学資を得てウィーンで暮らし始めたが入学試験には落第した。その直後に母が乳がんで死に、ヒトラーは遺産も得て、再びウィーンで暮らし出す。映画は、この時点から始まっている。
伝記情報はこの本から。
ユダヤ人が「ウィーンの父」に
ヒトラーが選んだ下宿の同室にはユダヤ人たちが住んでいた。これは可能性としてはありえないことはない。ヒトラーが比較的ユダヤ人の多い地区に住んだことが知られており、例えば「風景画家」として暮らしていた時期は実際ユダヤ人画商ともつきあいがあったと考えられる。
同室のユダヤ人シュロモは「本を書いている」と称しながら、街頭で行商をして暮らして居る。得意の話術とノリで小銭を稼いでいる。はじめヒトラーに対して「父」のように厳しく振る舞ったこのシュロモは、あまりに幼稚なヒトラー(18歳〜20歳くらい)を放って置けなくなって世話を焼くようになる。
童貞の父への闘争
シュロモは、その巧みな話術に惹かれたドイツの田舎娘グレートヒェン(可愛らしいが頭がよくない)としばしば性交している。童貞であるヒトラーは、これを羨みつつ何もできずにいる。(実際のヒトラーも女性には奥手で、後には同性愛者との噂もささやかれた。「総統」時代はエヴァ・ブラウンという愛人もいたが、「禁欲者」としての清廉さを売りにしていた)。芸大への入学の道も閉ざされる中、ヒトラーはドイツ・ナショナリスト数名と行動を共にするように。この連中が全員あまりイケていない集団で、モテ男を僻む目で、ユダヤ人を憎んでいる。ヒトラーは行動する。ドイツ人田舎娘に自分はすごい画家であると吹聴したり、「ドイツ」の理想を共有するように働きかけ、シュロモから娘を奪おうとする。
父に寄生する息子
芸術アカデミーにも入れず、資金もなくなったヒトラーは、大言壮語しながら、生活ではシュロモに世話になる。このあたりから、ヒトラーとシュロモは甘やかされて手をつけられなくなった息子と父のように描かれる。反ユダヤ主義では「ユダヤ人の寄生」が言われるが、ここでは、ヒトラーは、親に反抗しながら親に寄生しては、妄言を吐く「クズ」になっている。
ドイツやオーストリアでは大人になって家をでないことは負け犬の印とみなされる。ましてやパラサイトは言語道断で、そうなる前に叩き出されてホームレスである。パラサイトで大言壮語というのはいわばクズ中のクズ。
だが、ここは面白いところだが、ユダヤ人シュロモから政治の才を褒められたことである意味開眼し、他のダメ連中を扇動することに才能を発揮するようになる。ダメ息子ヒトラーは、催眠術を身につけて自分自身を洗脳し、そして娘の洗脳にも成功する。ダメ息子を甘やかしてしまったシュロモは息子たちに吊るし上げられてしまう。
まとめ
ヒトラーがユダヤ人に扇動者の素質を養われ、『我が闘争』のアイデアもユダヤ人から盗んでいたのだとしたら・・・という設定そのものは面白い。ヒトラー=ユダヤ人というデマ(間違い)が流されたことがあったが、そのあたりも微妙にとれいれているあたりも面白げではある。
しかし、「クズの息子をあまやかすとヒトラーのようなクズになりますよ」以上のことが言えていない。最後のシーンで、この童貞革命家が深刻なユダヤ人迫害を生み出すことを示唆しているが、笑えないし、童貞の怠惰さのみにナチズムの原因があるように言うとしたら的外れである。
原作舞台については詳細は知らないが、ユダヤ人が世話をして政治への道を示唆したところは一緒。童貞性を映画のように強調しているかは不明である。また舞台は笑えるものらしいが、この映画は苦笑・失笑は多少あるが、そういう映画として貫徹されておらず、結局ねらいがまとめきれていない。
とはいえ、いろいろ考えるきっかけにはなる映画。
あと時代考証とか衣装はたぶんそれなりにしっかりしていて、雰囲気はある。
主演のトム・シリングについて
主演のトム・シリングの演技は神経質な青年の感じをよく出していてよい。この人は、元来甘いマスクで人気で、かつ少し憂いがかった可愛らしさと身長の低さがウリの俳優である。ある意味適役だったが、作品的にはやや黒歴史か。
代表作は『コーヒーをめぐる冒険』(原題 „Oh Boy“)
コーヒーを飲めなかった或る一日 の青年の話。けっこうブラックなシャレも効いていて、気軽にみれるけど、浅いわけではないロード・ムーヴィー風映画。トム・シリングを堪能できます。背が小さい人の役です。脇役も皆良いです。ヒトラーも普通の青年もできるのがいいところでしょう。こっちの方が彼本来の感じです。
『我が闘争』の前は『バーダー・マインホフ』に重要なチョイ役で出演。これもいい演技をしています。
この映画はモーリツ・ブライプトロイ始め、ドイツ映画の有名どころが入れ替わりでてくるので、その意味でもオススメです。
ほかにも『ルートヴィヒ』など多数出演。
また紹介します。