メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

メナーデとは酒と狂乱の神ディオニュソスを崇める巫女のことです。本ブログではドイツ映画を中心に一人のメナーデ(男ですが)が映画について語ります。独断に満ちていますが、基本冷静です(たまにメナーデらしく狂乱)。まずは88本を目指していきます。最近は止まっていましたが、気が向いたときに書いております。

『アングスト 不安』オーストリア映画 シリアルキラー視点の異色映画

1983年オーストリア映画 紹介動画

angst2020.com

公開当時はオーストリアでは即上映禁止。ヨーロッパ各地でも禁止になり、私財をはたいて制作していた監督は破産という曰く付きの快作。日本では、上映されずレンタルビデオ化はされていたが、ほぼ埋もれていた。

 

どんな映画か? 怖い? グロい?

実在の殺人犯について、殺人者視点で撮られた映画である。タイトルの「アングスト」は日本語で言う「不安」。普通のスリラーやホラーだと、殺人者や怪物に脅かされる被害者の側の不安を観客は共有するが、この映画は殺人者視点なので、そういう意味での「不安」はない。

 

このブログの執筆者はホラー映画は怖くて一人で見られない。『リング』や『呪怨』くらいは見ているが、貞子が髪をとかしている場面が無性に怖くて、例えば風呂で髪を洗う時、なんか出るんじゃないかと思ってしばらくビビっていた。そういうタイプの人はおそらくそれなりにいると思うが、そういうタイプでホラー映画は怖くて見れない人でも本作は大丈夫である。

 

ホラーが怖いのは、なんか出るぞ、っていうのがわかっていながら、出るタイミングは作り手が操作していて、こっちが一番ビビりそうなところで、出してきたりされるからというのがあると思われる。本作や同じくドイツ語圏の最近のシリアルキラー映画『フリッツ・ホンカ』などはグロい所はあるが、ビビらされるところはない。なので、ホラーがダメでも映画が好きなら大丈夫。アートアートして意味不明ということもないので、好奇心や探究心があればとりあえず興味深く見られます。グロいのは一切ダメな人は無理かもしれない、そんな映画です。

(『フリッツ・ホンカ』は現代ドイツの代表的監督ファティ・アキンの異色作。こちらも実在のシリアル・キラーについての映画。見比べると殺人鬼のタイプも色々いることがわかる。以下もご参照ください。)

callmts.hatenablog.com

 

殺人者の「不安」

この映画では殺人者視点で話が進んでいき、生い立ちや彼の心理についてもそれなりに説明されるのでわけわからないということはない。犯人である彼が語るのは、自らの「不安」や誰かを傷つけたい、殺したくなってしまうという衝動である。タイトルの「不安」は、殺人犯が抱く謎の「不安」である。

実際の事件と同様、主人公である殺人者は、一度見知らぬ老女の家を訪れ、彼女を殺害して逮捕されている。映画はその場面と、それによって逮捕された後の監獄シーンから始まる。中心となる出来事は、逮捕された後8年後のものである。精神障害を主張したことで、8年ほどという比較的短い刑期を課された彼は、刑期を終える直前、職探しのために一時釈放される。監獄で彼が歩くシーンはなぜか異常に下からのアングルで撮られ、見ていてただならぬ感じを覚える。釈放された後、彼は、すぐに次の「獲物」を早速探し出す。

 

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時代も感じる映像。字幕は無し。殺人者はよく喋る。

 

殺人者を演じるエルヴィン・レーダー Erwin Lederは青白いイケメン(実際の犯人と比べるとかなりイケメン)で、不健康な時のデヴィッド・ボウイ系統の感じ。例えば『フリッツ・ホンカ』のブサイク系なヤバい奴とはちょっと違う。潜水艦映画の名作『U-ボート』や『シンドラーのリスト』(SS役)などにも出ている俳優。

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Erwin Leder『アングスト』のパンフレットより。

彼のモノローグからその異常性がよくわかる。だが、最初にも書いたようにそれほど驚かされるわけではない。彼の視点で語りが進むため、観客は、こういう人間もいるのか・・・というような思いで、彼の心理を淡々と追っていくだろう。彼の心理は興味深いが、当然感情移入はできない。観客は、共感はできない人物を中心に映る映像に、微妙な距離感で接していくことになる。

始まってしばらくは、彼が謎の不安と殺したい衝動を抱えていることが淡々と語られていく。「意外と大丈夫な映画かも、意外とおとなしい・・・」という感じ。だがもちろん、ただ淡々と続くわけではなく、彼が獲物に近づいていく中で緊張感が高まっていく。最初のクライマックスとなるシーンでは、彼が走り出すなり突然、大音量でBGMがなるのだが、ここはなかなかのインパクトである。次の曲のリズムがいきなり始まる。

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映画のBGMはドイツの電子音楽のパイオニアであるクラウス・シュルツェ(アシュラ・テンペルやタンジェリン・ドリームに関わった)。サントラはCDにもなっていますが現在入手困難の模様。

Angst

Angst

  • アーティスト:Schulze, Klaus
  • 発売日: 1996/08/06
  • メディア: CD
 

 上でもあげているようにYoutubeで聴けます。全体はなんかゲームの真・女神転生みたいな音楽(?)。怖・ミステリ・かっこいい感じです。

 

展開

その後、獲物を探し、見つけ、犯行を遂げていく様が描かれる。核となる事件は、彼が忍び込んだ家で起こる。ここはじっくりと撮られている。カメラアングル、小物、人物たちの演技・・・それぞれが結構印象深い。この辺り、あまり的確に位置付けたり論評したりするのは手に負えないのだが、とりあえず面白い映像だと思う(普通のモラルからは外れっぱなしですが)。

このあたりは是非機会があれば見てください。見た方は結構覚えていると思います。以下は、個人的感想です。

 

劇場で見終わってクレジットが流れてオーストリア映画と気づき、この感じ、オーストリアかも・・・と思った。オーストリアの映画はあまり知られていない。一番知られているのはフランスで活動しているミヒャエル・ハネケだと思うが、少し通じる。醜い、つらい、残酷な現実があったとして、それにあまり解釈を施さずに淡々と追っていくタイプのアプローチである(ハネケの場合は特に初期作)。この淡々と追うのをさらに突き詰めると、ウルリヒ・ザイドルの擬似ドキュメンタリー風ドラマになるかと思う。これについては以前の記事も見てください。

 

callmts.hatenablog.com

 

オーストリアはドイツとは違って、第一次大戦以降小国になってしまった。だが、20世紀の正規転換期には、ヨーロッパ文明の最先端をいく思想家・学者(フロイトヴィトゲンシュタイン、マッハ、経済学のヴィーン学派、ホーフマンスタールなどの文学者などなど)を生み出すほどに爛熟した帝国の中心にあった。オーストリア人は、こうした営為が自分たちの過去にあったことを誇りつつも、現在小さなポジションにいることも受け入れている。そして、ドイツが大国として過去を反省する優等生的ポジションで、正しいヴィジョンを示そうとするのに対して、端的に現実を見据える。

このような対比がドイツとオーストリアで成り立つ(詳しくは先ほどのパラダイスの記事を参照)

 

本作は、殺人者が結構説明してくれるので、「淡々」度はそこまでストイックに高くない。だが、実在の酷い事件に淡々と迫ろうとする姿勢は、いかにもオーストリアっぽいなあと思う。

 

パンフレットなど

2020年に作られたこの映画のパンフレットはとても充実している。監督のオフィシャルインタヴューも面白いし、日本でビデオソフト化した人が語る当時の状況が大変面白い。もし見つけたら是非手に入れてください。

 

日本で 映画が上映される際は、有名人を試写会に招待して、コメントをもらってそれで宣伝するという回路が出来上がっているらしい。パンフレットにもよく載っているが、この映画のパンフレットでは日本人のコメントは間に合わなかったのか載っていない。

本記事一番最初にあげたオフィシャル・サイトではこれが見られるが、評論家や映画ライターを除くと、石野卓球とでんぱ組の人以外は、名前も聞いたこともない人間しかコメントしていなかった(笑)。そういうタイプの映画なのであろう。石野卓球は4行で絶賛。

ともかく、見て損はない映画です。お近くでまだ上映していたら是非劇場へ。