メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

メナーデとは酒と狂乱の神ディオニュソスを崇める巫女のことです。本ブログではドイツ映画を中心に一人のメナーデ(男ですが)が映画について語ります。独断に満ちていますが、基本冷静です(たまにメナーデらしく狂乱)。まずは88本を目指していきます。最近は止まっていましたが、気が向いたときに書いております。

Be My Last(宇多田ヒカル)、吉井和哉カバー

吉井和哉宇多田ヒカル「Be My Last」カバー

ロックバンドThe Yellow Monkeyが中学生の頃から好きなのだが、そのボーカル吉井和哉宇多田ヒカルのBe My Lastのカバーをしている。

 

宇多田ヒカルは積極的に聞いてはいないながらも、かかっているのを聞いて引き込まれるような名曲が多数あることは知っている。その中でもこの曲は本当に切なくて、吉井和哉経由で知ったのだが、実際歌ってみると歌詞にメロディーが100%ライド(乗っかる)していって、思わず泣いてしまうこともしばしば。

 

音源も当然いいのだが、ギター一本で聞いても聞かせる名曲。

 


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吉井和哉のカバーはこのギター一本からも成り立つ原曲のエッセンスに忠実で、ギターロック版に仕上げている。歌い手が変わっても心に迫るものがあるということを、原曲のエッセンスを再現すること示しているカバーと言えるだおる、つまりカバーによって原曲のエッセンスの普遍性を表現している。ここでは本人とカバーの優劣を云々するのはあまり意味がないだろう。この曲は圧倒的にいい曲だということをカバーが示している。

 

Be My Lastの歌詞

この曲はメロディーもいいのだが、歌詞の強度がすごい。一つにはおそらく宇多田ヒカル自身の経験を反映しているだろう点でまず必要な表現だったのだろうと思わせる。伝え聞く範囲でも宇多田ヒカル自身多くの強度のある経験——結婚、出産、離婚、その後——をしていた。これを歌にしたという点を思うと、これだけでかなりクルものがある。

 

そして歌にすることでの普遍性の獲得という要素がある。宇多田自身の経験を超えて、少なからず重なるところがあるだろう聞き手の経験を響かせるところに、普遍性の根拠がある。もちろん、宇多田ヒカルに限らず、普遍性のある曲は歌い手と聞き手の繋がりを根拠にしているのだと思う。この曲の普遍性の特色は、宇多田ヒカルの極めて私的な経験と、つながるはずのない聴き手それぞれの極めて私的な経験が響く点にあるのではないかと思われる。

 

「間違った恋をしたけど、間違いではなかった」

 

うまくいかなかったが、真摯に恋をしたことが伝わる一節。失敗したけれども、私の最後の人であって欲しかった、あるいはそういう人を求めて恋をしていたという心からの叫びが響く。

 

もう一つ極めて印象的なのが冒頭の一節である。

 

「母さん、どうして。育てたものまで、自分で壊さなきゃ、ならない日が来るの」

 

宇多田ヒカルの親が「夢は夜開く」で伝説の歌手藤圭子であり、その母のもと歌手たるべくして育てられたのが宇多田ヒカルであるというのは、ネットで少し掘るだけで出てくる。ここには一方では偉大な親であり、他方ではある種毒親的な要素をもつ親に対する問いも込められているように思われる。

 

「育てたもの」が何であるかの解釈を、聴き手に開いておくことで、普遍性を得るという仕掛けもあって、技術的にもすごい曲なんではないかと思う。この曲の内部でいうと、最後の人であって欲しい恋人との間に育てたものであるだろう。だが、その後宇多田ヒカル自身も出産して、子供を育てているということを考えると、この一節の意味がさらに射程を広くして聞こえてくるのも面白い。

 

手のモティー

この曲でもう一つすごいモティーフが「手」である。

 

「バラバラになったコラージュ捨てられないのは

 何もつなげない手

 君の手つないだ時だって」

 

好きな人がいたら手はつなぎたい。「つなぎたい」のが「手」の本質なのだが、この歌では、その手が「つなげなかった」という切なさが語られる。「君の手つないだ時だって」という一行でもって、最後の人であるべき人と、永遠の関係を結びたかったことと、しかし、それが難しかったことを一度に表現する技術に裏打ちされた切なさの表現。そして、つなげなかったにもかかわらず、その過程で作り出された「コラージュ」を捨てられない「何もつなげない手」という表現。宇多田ヒカルはこの3行で、<永遠を求めつつ、永遠は得られなかったこと、だがそれでも永遠を求めているということ>を聴き手に一挙に示す。

 

この曲での手のモティーフは、どれも多くを想像させてすごい。

 

「何もつなげない手、夢見てたのはどこまで?」

「何もつなげない手、大人ぶってたのは誰?」

 

永遠に手をつなげることを夢見ていたこと、しかし、それを夢見ていた自分が「子供」だったことが示されて切ない。

 

「間違いではなかった」という救済

歌詞の研ぎ澄まされ方、それを切ない叫びで表現する仕方——この突き詰め方がすごい。

 

とにかく、この曲の歌詞は一行一行胸に刺さる。

 

「慣れない同士で、よく頑張ったね、間違った恋をしたけど、間違いではなかった」

 

永遠を求めつつ、得られなかった、あるいは傷つけ合うだけに終わったという意味では「間違った恋」だったが、求めた気持ち自体jは「間違いではなかった」と振り返るこの一節。

 

ここに見られるように、悲劇だが、そこには俯瞰的に見た場合ある種の救いがあるということも表現している。

 

初期の宇多田ヒカルの歌詞は、切ない叫びを切なくかつクールに響かせるものだったと思う。その時、その叫びは、叫びが結末まで行き着く地点を描かないもので、ティーン的な切なさだった。Be My Lastはその先の地点を見据えている点からしても成熟した曲である。そして宇多田ヒカルの魅力は「成熟」が落ち着きや安定に向かわずに、破局の深みとそこからの救済の希求の深まりを表現することにある。

 

永遠の形

高校生の頃、クラスでカラオケに行った時に、女子が歌いながら感極まって泣いている場面を見てすごいなと思ったことがある。その時の歌は椎名林檎だったように思うが、Be My Lastを歌いながら涙溢れるとき、彼女の感覚がわかったような気がする。

 

永遠を求める感覚、永遠に自分とつながる存在を求める感覚——これは女性的な永遠だろう。

自分の価値が永遠に認められることを夢見る感覚——これが男性的な永遠だろう。

ひとまずこのように整理できるのではないかと思われる。

 

吉井和哉は男性であるが、The Yellow Monkeyの初期においては、女性になりきるということを行なっていた。ある意味演歌的な表現を取り入れていたのだが、永遠を求めつつ、それが挫折する儚さを歌っていた。「4000粒の恋の歌」「シルクスカーフに帽子のマダム」はロック演歌の名曲である。

 

 

これらにおいては、「最後の相手」を求める女性的な永遠願望とその挫折が歌われている。

それに対して、吉井和哉の素の男性的な部分では、自らが永遠の価値を持ちたいという憧れとその挫折との間での葛藤が歌われる。

 


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吉井和哉の歌詞の魅力は、唯我独尊的に、自分だけを「永遠化」するのではなく、「君がよけりゃ必要としてくれ、call me call me」と、具体的な「君」との関係で永遠を探る点にある。宇多田のbe my lastで歌われる一瞬と永遠の逆説的な接点に吉井和哉も敏感である。

 

一瞬と永遠の接点を、宇多田ヒカルは次のように歌う。「いつか結ばれるより、今夜一時間会いたい」。「いつか結ばれる」と言う観念的な形での「永遠」よりも、今の一瞬から永遠につながりたい、と言う感覚を重視している。生きた永遠を求めて、彼女は挫折し、しかし、この生きた永遠の探求にこそ真理があると考えている。吉井和哉に関しては、ある種男性的な自己永遠化への方向性を持ちつつも、この永遠を自分のために閉ざさずに、具体的な誰かとの関係と接続させる点に魅力がある。

 

先ほど紹介したCall Meは吉井和哉のソロ曲である。永遠と具体的な誰かとをめぐるモティーフに関しては、イエローモンキーだと解散直前の「ブリリアントワールド」が典型的である。一方で「何十年、何百年、何千年、何万年、何億年、何光年、何秒間君といられるだろうか」と歌って、永遠に次第に近づく。他方、「何秒間」と言う具体的な誰かとの時間に一息に還ってくる。永遠と一瞬の接続がここにある。

 

jamでも「Good Night 数え切れぬ夜を超えて、Good Night 僕らは強く、Good Night 僕らは美しく」と言う形で、時を経る中で純度を高めようと言う方向と、「こんな夜は会いたくて、君に会いたくて、君に会いたくて、また明日を待ってる」という、具体的な誰かとの時間に還ってくる感覚も、ある種の永遠の問い方である。

 


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終わりに

以上、思いつくままに書いてきたが、Be My Lastはさまざまな考察を促すという意味でも名曲である。そして何より、繋がらないものを繋げようとする、あるいは繋がらないものを繋げる歌の力を感じる一曲である。

 

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この曲はPVも良い。歌の内容を直接的に表現するというより、この歌の切なさを世界観的に表現する作りである。何となくスマパンのPVを思わせる。