ドイツ映画『犯罪 幸運』 二人の恋人の「法外」の「幸福」 ドーリス・デリエ監督作品
『犯罪「幸運」』
2012年ドイツ映画 原題 „Glück“ (幸運)
監督ドーリス・デリエ、主演アルバ・ローアバハー、ヴィンツェンツ・キーファー
パッケージを見て、ドイツ映画ということで昔レンタルで借りて見た。今回アマゾン・プライムで見返してみた。監督は日本通としても有名なドーリス・デリエ。樹木希林の遺作となった『命短し恋せよ乙女』を撮ったことでも知られる。
原作はフェルディナンド・フォン・シーラッハの小説集『犯罪』中の「幸運」。
シーラッハは弁護士が本業で『犯罪』で作家デビュー。日本でもこれが知られていたため、タイトルに「犯罪」が入ったのかと思われる。
ベルリンに不法滞在する街娼イリーナとホームレスのカッレの恋
イリーナ(アルバ・ローアバハー)は、故郷で両親と羊を飼って幸せに暮らしていた。しかし、内戦が勃発。両親を殺害され、自身も兵士たちにレイプされ、故郷を逃れ、ベルリンへとたどり着く。難民として認定されてはおらず、街娼をして安ホテル暮らしをしている。
ある日、路上で犬を連れたホームレスの若者カッレ(ヴィンセンツ・キーファー)と声を交わし、次第に二人は惹かれ合います。イリーナがおそらく街娼仲間のツテで、住居兼仕事場を借りて、二人は一緒に暮らし出す。社会の外部へとはじき出された二人が、幸せを得たと思ったそのときに・・・というのが3分の2くらいまでのあらすじ。
主演のアルバ・ローアバハーが美しく可愛らしい。元来は普通のしっかりした女性が、街娼をする際はきっちりとわかりやすい格好で切り替えている感じもよくでている。
ホームレス青年Kalleを演じるのは・・・ヴィンセンツ・キーファー。イケメンすぎない演技派。激しめの見た目とは裏腹に、根本的には優しいヘタレ。あまり説明されないが弱さゆえにホームレスになったことがわかるようになっていて、その弱い部分と底にある真面目さを好演。ちなみにドイツでは若いホームレスがけっこういます。仕事をしなかったり、(特に昔は)ゲイだったりすると家を追い出されることがあるとのこと。なので、特に違和感はないです。犬を連れているホームレスがよくいますが、ボディーガードを兼ねているらしい。
キーファーは、ドイツでは長く俳優をしており、最近ではロシア映画『T-34』にも出演。個人的には『バーダー・マインホフ』でのやんちゃな感じが印象に残っている。
オススメしないとも言い切れない作品
以前みた際は、あるシーンから園子温監督の『冷たい熱帯魚』に触発されたんじゃないかと思ったほか、やけに感傷的なシーンが多いという印象だった。
今回あらためてみて、まず、冒頭からしばらく続く過剰なBGMに辟易する。スローモーションの連続の間に悲しい音楽が鳴り止まない。ベルリンに着くシーンでは極悪なロックが、娼婦をするときはまた悲痛な音楽が、カッレが物乞いに街へ出れば軽快なロックが流れ出し・・・といった風に、制作側の見識を疑ってしまう。
やはり「いけない類のもの」かもしれない、あるいは妙に「わかりやすく」作られているのかと思いながらみていると、恋人たち二人が演じるシーンに関しては、演技がいいこともあって、好感をもって見ていることに気づく。以下もう少し詳しく内容について。
主人公二人のやりとりは素直によい
もともとイリーナは普通にしっかりした人間で、弱いカッレを励まし、嫌な仕事もきっちりとこなす。カッレは、嫌なことからはすぐに逃げだしそうになるが、励ましにこたえて前へ進んでいこうとする。誕生日に髪を切ってくるシーンは「今が永遠に続けば」という瞬間、「幸せ」の絶頂をうまく表している。
伏線なども、ギャグ的な部分では面白いものもある(頭にかぶるビニール袋)。とはいえ、後に穴を掘る際のつなぎのために「犬のシーン」があるのだとしたら、ちょっとそれはやめてほしいと思う。
ということで、主人公二人の演技と愛については素直に見られる映画。躊躇なく真の愛に浸れる方は素直に見られると思います。以下かなりネタバレあり。
「不運」とグロシーン
誕生日の前にイリーナは鶏をつかった(おそらく祖国の)料理を作ろうとして、電動料理用小型ノコギリで鶏をさばこうとしていた。ベジタリアンだと告げるカッレは鶏を嫌がり、血を嫌う。ここでの二人のやりとり−−−−「私たちお互いのことをまだ知らない」−−−−はとてもいいのだが、やたらノコギリがアップになるのが、伏線。
幸せをつかんだ二人に不運がやってくる。イリーナの常連客の政治家が行為の最中に心筋梗塞で突然死。イリーナに過失はないのだから、普通なら警察に届ければいいというところだが、彼女は不法滞在者であるがゆえに、警察沙汰になれば故国へ送還される。パニックに陥った彼女はひとまず部屋から逃亡する。そこへ、プレゼントを買って部屋に戻ってきたカッレが死体を発見。なんとか隠さないとと思ったのか上述の電動ノコで死体をいくつかに切断し、愛犬を埋めた公園へと運んでいく。
ここで、二人の愛の交流とはそぐわない、肉に刃が入っていくグロシーンが少々展開される。多少ギャグも入ったりするが、二人の愛だけをみたい観客には嬉しくもなんともないシーン。監督の悪意か?
昔みたときは、園子温監督の『冷たい熱帯魚』の記憶も新しかったので、これに触発されたのではないかと思った。あらためて考えると、「透明にする」話と、すぐにバレるような解体だとだいぶ違うと反省。『幸運』の原作も確認してみないとわからないですが、おそらく影響関係はないでしょう。
(『冷たい熱帯魚』は、埼玉愛犬家連続殺人をモティーフにした映画で2010年上映。俳優でんでんの怪演から目が離せない。園子温がピークだった頃の迷いのなさ、迸るエネルギー、熱情、そして血。どのシーンもエグい。ただの冷たい家庭の食卓でさえもドラスティック!こちらは文句なしにオススメ。)
「法外の二人」と法の内側の人々の対比
不法滞在のイリーナと以前から小さな盗みくらいはよくやっていたカッレは、いよいよ法に触れる存在になって、留置所に。主人公二人が裸にされて調べられたりするシーンによって、法に守られた普通の市民ではないことが強調されている。二人はお互いを庇いあって、自分はどうなってもいいと叫ぶ。
このあたりはわりとすんなりと救われる。イリーナが作品冒頭で知り合いになった弁護士の奮闘もあって、二人が殺害したのではないこと、カッレの死体損傷も愛ゆえのことであって不起訴相当という主張が通り、晴れて二人は再会する。
淡々と書いてきたが、二人がお互いを思いやり、かばい合い、そして再会を果たすシーンは、ひねくれ者でなければわりと泣けるシーンである。
で、おそらく原作では、このあたりで、普通の法に守られた市民よりも、法外にさらされた彼らのかばい合いに純粋な愛があるのではないだろうか的なことが書かれているのだろう。映画でも弁護士がそういったことを示唆している。
いいところ
シリアをはじめ各地からの難民の膨大な流入以前の作品だからということもあって、イリーナの難民としての側面については、それほど強調されていないが、それでも法的に保護されないことのつらさはわかるつくりになっていて、社会的な広がりもある作品だといえる。上でも書いたように二人のやりとりは総じてよい。純愛が好きな人は問題なく楽しめるだろう。
演出・音楽などはバランスがわるいところが目立つ。死なせる必然性のない犬を死なせる脚本はどうにかならなかったものか疑問。
あと社会性や歴史性は示唆されているがその点で評価されるべき映画ではないだろう。イリーナが正教会に入るシーンによっても示唆されるが、内戦の故郷は旧ユーゴスラヴィアのコソボかマケドニアと思われる。
本作はAmazon Prime Videoで見られます。
ドーリス・デリエ監督の他の作品
まだあまり見ていないが、日本を舞台にした映画をよく撮っている。
Mon Zenは低予算セミドキュメンタリー風映画。二人のドイツ人のおっさんが日本で迷子になったのちに禅寺で修行する話。こちらは気軽にみられます。