メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

メナーデとは酒と狂乱の神ディオニュソスを崇める巫女のことです。本ブログではドイツ映画を中心に一人のメナーデ(男ですが)が映画について語ります。独断に満ちていますが、基本冷静です(たまにメナーデらしく狂乱)。まずは88本を目指していきます。最近は止まっていましたが、気が向いたときに書いております。

話題作『ありがとうトニ・エルドマン』−−なぜこの映画が素晴らしいのかを解説。主演ザンドラ・ヒュラー。

2016年ドイツ映画 原題 Toni Erdmann

評価が分かれるだろう作品だが、個人的には久々の衝撃作で星5つ。

 

 

ありがとう、トニ・エルドマン(字幕版)

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  • 発売日: 2018/01/06
  • メディア: Prime Video
 

 

要点をまとめると

・コメディでもハートフル・ドラマでもない。

・ブラック・コメディでもない

・荒涼たる仮面世界から素顔に立ち戻る瞬間の素晴らしさを主演のザンドラ・ヒュラーが演じきったところがすごい。

・監督は、辛辣な人間観察に優れたアーデン・マレ

 

以下、少し詳しく書きます。

 

笑えない話

妻とも別れて暮らしている父。荷物を届けに来た宅配屋に、ちょっとブラックなジョークを「かます」シーンから映画は始まる。予備知識なしで見たので、最初何が起こっているのかわからなかったが、しばらく見ていると、このおっさんは始終「笑えないジョーク」をかましつづける人間なのだということがわかってくる。

なのでこれは基本的に笑えない映画である。またある意味では泣けるが、いわゆる「泣かせる映画」ではない。感動作だが、パッケージのような雰囲気を期待すると明らかにがっかりさせる。『トニ・エルドマン』だけだとわからないということで「ありがとう」をつけたのだろうが、「ありがとう」にあたるシーンは2パーセントくらいしかないので、やはりつけないで出すべきだっただろう。父と娘ではなく、謎の怪物と少女(どちらも顔は映らない)

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オリジナル版DVDパッケージ表裏

 


父→トニ・エルドマン

この笑えないジョークをかまし続けるおっさんは、しかし現実にたまにいる。ダジャレを言い続けるタイプのおっさん、セクハラをかましてくるおっさんとは少し違う。この笑えないおっさんは、おっさんなりに相手のことを考えている。「お前はそうやって振舞っているが、本当はそうじゃないんじゃないか、本当はこんな風に思っているんだろ、ということを言いたくてしかたがないおっさんである。そして、それをストレートには言えないくらいの繊細さはもっているので、ジョークの程で言うのである。

 

久々に家族で集まった場面で父は「仕事のできる娘」に久々に会う。「活躍」を親戚にもてはやされる娘だが、父からすると余裕のなさそうなピリピリした感じが心配でたまらない。「お前無理しているんじゃないか」といったことを言いたいが、そうは言えずに変なジョークが発される。当然娘は、戸惑い、イラつく。

 

この後、父は、出っ歯の入れ歯とカツラをつけて、コメディアン「トニ・エルドマン」の「仮面」をかぶり、娘の仕事先に出没する。

 

「仮面」としての「人格」

日本語の「人格」にあたるperson, Personはギリシア語由来の言葉で、もともと「仮面」を意味している。かつてギリシア劇の舞台で、それぞれが仮面をかぶって役割を演じたように、人は公共の場に出るならば、「人格」として振舞わねばならない。

 

『トニ・エルドマン』の監督マーレン・アデはかつての作品で「仮面」にまつわる劇をたくみに、というか激烈に描いていた。

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そこでは二組のカップルが描かれる。男たちは二人とも建築家。先輩格の方は活躍中だが、主人公の恋人である後輩の方は、最近パッとしない。彼は、先輩たちを前にすると、「可能性に満ちた若手建築家の仮面」をかぶろうと必死になるが、輝く先輩を前にして卑屈さがにじみでる。主人公はこの彼氏の仮面ごっこにイライラしている。ダブルデートでイライラのピークに達した主人公が、「イケてる彼女」の仮面をかぶった先輩の彼女を罵倒して、帰るシーンが映画のクライマックスである。 社会的に振舞う以上みな仮面をかぶるのが当然だが、クソみたいな仮面劇はいいかげんウンザリだという激烈なパトスがほとばしる。(とはいえ、仮面をはいですっきりしましょうというような単純な話ではなく、そのあと別の仮面でよりを戻すシーンがあったりして、かなり辛辣な映画である。こちらもオススメ)

 

『トニ・エルドマン』の中心モティーフも「仮面」である。娘のイネスは、コンサル会社で働いている。プレゼンに備えるイネスは、「完璧なキャリア・ウーマン」の顔をつくるのに余念がない。友人たちと食事をしても当然「オフのキャリア・ウーマンの仮面」がはりついている。父の方は、上述のようにトニ・エルドマンを演じながら、キャリア・ウーマンの仮面の下にある娘の素顔に触れようとする。

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「オフのキャリア・ウーマン」の顔

コンサル会社の表の顔、裏の顔

イネスの働くコンサル会社は、ルーマニアのインフラ建設会社との間に大きな契約を結ぼうとしている。彼らが提案するのは大規模なリストラ・プランである。ここでは次のような図式がある。ルーマニアの会社は、無駄な人員を切りたいが、自分たちではそのようなことは言えない。そこでコンサルを呼び出して、外部から客観的にリストラの必然性を従業員に示すためのプランをたてさせようとしている。このコンサル会社がやっているのは、人員削減の経済合理性を完璧に説明するために間にはいる、いわば汚れ仕事である

首切り屋という実態が合理性の仮面をかぶっているのだが、このような仕事は人間をおかしくする。これを一番明確に体現しているのが、イネスの同僚である。イネスは彼とセックス・フレンドの関係にある(!)のだが、この男は、稀に見るほどの醜悪さとともに、むき出しになった欲望をはきだそうとする。

 

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最低のシーンの始まり。最低の男を演じきる俳優Trystan Pütter

この映画は、コンサル会社に対する悪意があるように思うので全てのコンサル会社がそうではないのだとは思うが、この映画で「コンサル」の存在理由がはじめて直観できた。この映画の主題は社会風刺ではないが、社会がかぶっている仮面を露わにする力量もすごい。

 

父の素顔と映画のクライマックス

父親が娘に伝えたいのは、一言でいうと、「素顔で笑えなくなるような仮面をかぶるのはやめたらどうか」ということである。心配しているとき、父も素顔ではいられず、笑えないジョークでしか話せない。娘とは打ち解けられないが、例えば素のままにしているルーマニアの労働者たちとは素直な笑顔で仲良くなれる。父は昔の素直なイネスの顔はどこに行ったのかと思って心配している。だからカツラをかぶる。父がイネスの前で素顔を見せるシーンもそれだけに印象的である(中盤に一度ある)。

 

イネスが仮面を捨て去るシーンが映画のクライマックスになる。度肝を抜かれるシーンである。それだけに最後のシーンに心をつかまれる。

 

「素顔」というテーマは非常にシンプルだが、「素顔になっていいんだよ」と言われてはいそうですかと素顔になれる大人はいないだろう。この映画の最も素晴らしい点は、主演のザンドラ・ヒュラーが「あなたはバカでないのだったらこの世では仮面をかぶらなければならない」という抗いがたい命令の強さとともに、そこから逸脱するときに解放される爆発的なエネルギーのどちらも演じきったところである。

父親をはじめとして他の俳優の演技もとてもよいです。必見です。

ジャック・ニコルソン主演でのリメイク計画がありましたが、ニコルソンが企画から外れて止まっているようです。残念なような良かったような。

eiga.com

 

この映画はライムスター宇多丸の『ムービー・ウォッチメン』でも取り上げられてますのでこちらもおすすめです。

 

ムービーウォッチメン 『ありがとう、トニ・エルドマン』 - ニコニコ動画