「ゲイ映画」、「ゲイ表現」の魅力
ブログを書き始めて、書きたい映画の多くがゲイ・レズビアンなど性的マイノリティーがテーマに組み込まれた映画であることにあらためて気づく。
イギリスの名門校を舞台にした青春劇。ノブレス・オブリージュでレーニンを読む青年への恋からの「別の国」 。
ニュー・ジャーマン・シネマの代表監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーは自身がゲイで、その恋人が映画に出演。
映画ではないが、最近亡くなった橋本治もゲイだった。
そして言わずもがなのボヘミアン・ラプソディー
そして同監督のエルトン・ジョンについての映画
「普通ではない」が故に自分で自分の運命を切り開かないといけないという「使命」を帯びた人たちの表現、そういった人々についての表現は切実で切なく、それに触れた者の心にも「キズ」を刻む。
フレディー・マーキュリーがゲイでエイズだったのは知っていたが、「いわゆるイギリス人」ではないゾロアスター教家庭出身のアジア系だったことはこの映画で初めて知った。フレディはとにかくノーマルな枠からはみ出ている。フレディーは例えば、「歯並び」も普通でない。が、揶揄されたときに、それを自分の強みだと言い返す。初めての恋人との出会いも含めて、心を揺さぶるシーンに満ちている。ライヴ・シーンでめちゃめちゃ熱くなる。
「運命は甘受するものではなく、自ら切り開いていくものだ」という強いメッセージ。
こういう表現は魂に触れる。そしてこういう表現はゲイに限らず「普通ではない」人たちに見られるものである。そして「普通の人」も本来、運命を自ら切り開くべきなのだと思う。
運命を切り開く歌
ロケット・マンはエルトン・ジョンについてあまり知らないこともあって、そこまでのめりこめなかったが、『ユア・ソング』は曲に詩がつくまでのエピソードも含めて本当に素晴らしい名曲だと再確認。
槇原敬之にしろ平井堅にしろ、ファンでなくとも表現の切実さを感じて引き込まれてしまう。
子供の頃はメロディーの素敵な歌としてしか認識していなかった。
紅白でたまたま見て釘付けになった。
例えばデヴィッド・ボウイやイエモンの吉井和哉は表現者としてのこうした存在に感染し「模倣=ミメーシス」したのだろう。
スウェードのブレッド・アンダーソンも同じく。
他にも色々ありますが、またの機会に。