Better Day to Get Away(Brainchild's)
私が心酔してやまないバンドThe Yellow MonkeyのギタリストのプロジェクトBrainchild'sの一曲。youtubeでたまに見ていたのだが、先日勢いでアルバムも買って聴いている。この曲はエモすぎて、何度聞いても感情が込み上げてくる。
曲のMV途中まで
イントロA:ギターのリフが割とロックのベタな感じで始まって、単音なためにそんなにスピード感がない。リズム隊が入ってくると疾走しだす。
Aメロ:この曲のポイントは何といってもボーカルの哀愁とエモい感じが疾走していくところにある。Aメロでボーカルが渋めに入ってくると、スピード感が増すのがいい。英語と日本語が融合してシャレが効いているのもカッコいい。やさぐれながらも走っていく感じの歌詞が曲に溶け合っている。「歩くたび俺を急かしてる」でスピード感も増しながらサビに突入するのがすごい。
サビ:Go Go Go Go Go to the better, better days! のGoの繰り返しでどんどんテンションが上がっていく。I wanna get back back back back back my heart, my name!など喪失感と焦燥感の中での再生への方向が示されるのが、滅茶苦茶ロマンティック。ブレイクしながら引っ張っていく時にパワーも疾走感も途切れないのもとてもいい。ブレイクでのアコギの感じもカッコいい。
ギターソロからのボーカルソロでのサビからバンドがフルで入ってくるときの上昇感がものすごいエモい。そして、さらにサビが繰り返されていくのだが、Go Go Go Go Goと繰り返されるたびに熱気が増していくのが本当にエモーショナル。
9:35すぎからスタジオライブ。しっかりした演奏かつ熱い。
やはり後半の畳み掛けがカッコいい。
収録のアルバム。
ボーカル渡會将士(わたらいまさし)はFuzztoneというバンドで活動したのち2015年からソロ活動、Brainchild'sにも参加。声が強い。カスレダンディな甘い声が魅力。
「恋の踏み絵」もいい。
これもギターリフからの展開の曲。菊地英昭のギターはエッジが立つタイプではないが、この曲でもボーカルが入ってくると曲のエッジが立ってくるのがとてもカッコいい。こういうエッジが立つ感じはYellow Monkeyにはない魅力。
リズム隊は堅実な感じでしっかり曲を支えている。ベースはバンド「鶴」の人だが、決め顔の味ありすぎ。アゴとそこにあるヒゲの感じによるものか?ドラムはさっぱりした感じの人だが、プレイはシンプルに情熱的で芯がしっかりしていてとてもカッコいい。
「恋の踏み絵」収録の『Hustler』というアルバムも良さそう。
これから色々聴いていきたいと思います。
ぎ
zArAme
以前Cowpers(〜2002年)について書いた。
そのCowpersのボーカル・ギターの竹林現動(ゲンドウ)氏が2015年頃に始めたのがzArAme。Cowpersは昔聞いていて、そして、解散後も折に触れて聞いていて、あんまり音楽を熱心に探して聞かなくなった頃でも時々聞いていた。夜中に酔っ払いながら盛り上がって、ネットを検索したりしていたら、ゲンドウ氏がzArAmeを始めていたことを知って、CDを買ったり、その後ちょくちょくチェックしたり・・・。そんなバンドzArAmeについて。
バンドの音の特徴はパンク・ロックを軸にしながらも多彩。基本的にはゲンドウ氏の前バンドspiral codeで出されていた要素を、ギターを一本足して発展・開花させた形。最初聞いてるうちはやはりcowpersと比較して、ちょっと物足りないなあと思ってしまったが、spiral codeのストレートないい部分だったり、ダブ、サイケっぽい部分を強力に展開しているサウンドが心地よく、何度も聞いているとcowpersの影も気にならず、端的にカッコいい部分が耳に入ってくるようになった。
紹介するのは、
・コンピレーションアルバム『11』(以下をまとめている)
1枚目ミニアルバム Last Order
2枚目ミニアルバム(シングル?) Amnesia
その後ライブ会場発売のcd
・フルアルバム『1』
・スプリット・シングル
の三点。
オススメ順に書いていく。
『1』
„1“ 唯一のフルアルバム オススメ1位
竹林現動が、Gendou Deathとしてソロで発表した音源「キエルマボロシ」も含むフルアルバム。曲調は多彩だが、統一感あり。コンピレーション盤の『11』より音質もグレードアップ。
1曲目 „lowpride“ : ストレートにかっこいい。前バンドSpiral Codeの発展形だがギター二本になっているのがやっぱりカッコいい。ギターの人はcowpersのカズトモ氏よりは目立たないがいいプレイ。全体の音のバランスも聴きやすく仕上がっている。タイトルはアイドルとのコラボなども経ての自虐も込み?
2曲目 „スラッジ“: イントロのギターのテンションがすごいと思ってるとこに入ってくるドラムがかっこいい。歌もテンション高し! 間奏からの展開が渋エモい。Cowpersに影響を受けたと思しきバンドJUNKHEADと感触が似ているが、より耳に残る形に仕上がっている。
3曲目 „searchlight“: これもまずドラム! aメロとリフのやりとりをはじめ、全体にメロディがキャッチー。これもspiral codeの発展形という感じだがギター二本がやはりカッコいい。
4曲目 „isolation“: スロウでエモい曲。サビのフレーズが冬っぽい熱さ。整理されすぎてない荒々しいところが魅力。意外とすぐ終わってしまう。もう少し長く聞きたい曲。
5曲目 „アネモネ“ イントロが不協和音的な尖がったかと思いきや、歌メロが爽やか。
6曲目 „coldwave“ サビでダンスビートになる展開がカッコいい曲。演奏も最後まで気合が入っている。
7曲目 „unequalizer“ 前曲もそうだが、ゆったり部分がfugaziっぽい。ギターはこっちのが激しい。ギターのディストーションがものすごいかっこいい。
fugaziのclosed captionsとかを思い起こさせる。
もっと似ている曲もありそうな気もするが、ひとまずこの曲を。fugaziのこの手の曲は、何回も聴いてるとすごい好きになる。
8曲目 „転生“ 最初のギターの感じがcowpersにはなかった感じ。トロンボーンが入ったりして2000年代くらいのポストロックっぽい感じ?
9曲目 „liquiddream“ ちょっと歌が可愛いzarameギターロック。ポップな曲はcowpers時代も結構あったが、「可愛い」感じまでいくのはあんまりなかったような気が。「再現できないジグソウパズル」のカバー(後述)でも思ったが、昔(1980年代とか)のアニソンのメロディーを感じさせる。
本家roosutersの「再現できないジグソーパズル」と比べるとゲンドウ氏の声の可愛さがわかる。
10曲目 „微睡“ ギターの爆音がめちゃめちゃカッコいいイントロから、ドラムの音まで完璧な曲。AメロはCowpersだと男の哀愁が強くなってたような部分だが、ポップな哀愁になっている名曲(ちょっと可愛い)。サビ後の間奏などはギターの音だけで泣ける。展開も含めて『揺らし続ける』後半の「シアン」とかを思わせるが、重たすぎずに聴きやすい。
11曲目 „untitled“ つなぎ曲。Cowpersのアルバム„Lost“で言うところの„88“だが、このアルバムでは最後の曲が既発曲なので、流れは途切れる。„Lost“での„88“とか„Crawl Space“はアルバム全体の流れをうまくつないですごかったなと改めて発見。
12曲目 „キエルマボロシ“ アルバムからは切れているが、胸キュンの名曲。ナンバーガールにおける「イギーポップファンクラブ」みたいな曲。ゲンドウ氏が„Gendo Death“名義でソロで録音していた曲をバンドで再録している。Gendo Death版を未聴の方は以下を是非。
元曲ですでに完成されているが、バンド感と勢いはやっぱりzarame版の方が上(特にドラム)。この曲もギターが泣ける。歌も加わってさらに涙腺爆発。
購入は本人たち運営のサイトでどうぞ。
cowpers vs 200mph の Feedback Insanityも買えます。
amazonではもう買えない様子。
『11』
1-5曲目までは、Zarameの初EP『ラストオーダー』収録の5曲。
6-11曲は2枚目のEP『アムネジア』などに収録の曲。
どちらも持っていない場合は、この『11』を買いましょう。
1-5曲目もカッコいいが、どちらかというと6-11の方が引き出しも広くてカッコいい。
特にオススメは6曲目「no fear」。最初のギターが、ギターロックのワクワク感を100パーセント体現。このアルバムでは6曲目だが、歌詞も所信表明のようで一曲目にふさわしい曲。
ライブがYoutubeに上がっていた。テンションは上がりきっていないが、それでもカッコいい。
9曲目はサイケシューゲイザー、10曲目「アムネジア」はラップ調で始まりつつサビはギターがうねりまくる。11曲目は最初、ゆらゆら帝国やyume bitsuみたいなサイケデリック・ドリームな感じで始まるのが印象的。
曲調もいろいろで展開の引き出しも多彩だが、全てzArAme色になっていてカッコいい。
幅広く作れる分、cowpersの時のようなアルバム全体の色がちょっとぼやけているかもしれない。『Lost』も『ユラシツヅケル』も一枚通しての世界がすごくはっきりと見えたが、その点はzArAmeはぼんやりしているかもしれない。一曲一曲のクオリティーだったり演奏だったりは優れている。
アイドル(ヤなことそっとミュート)とコラボしてライブとかもしてたのが謎だけど演奏はかっこいい。「ヤなこと」は可愛いけど、どういった経緯でこんな話が成立したのか興味深い(ジンギスカンの話が薄すぎる)。おそらくプロデューサーがオルタナ路線をとったことから出てきた話(?)。Bishなどロック寄りのアイドルも結構いるけど、その中で、とんがっていこうと言う戦略(?)。ここからzArAmeファンが広がるかというと疑問だけど、一曲目LilyがzArAme演奏というのは大変面白い。原曲もすでにオルタナギターサウンドでカッコいいが、バンドでやるとリアル。4人アイドルの謎のダンスのフリとアイドルファンの歓声に馴染めないが、一人の歌姫陶酔系アイドルとバックバンドでマジでやったらもっとかっこいいかも。おっさんたちとアイドルのレアコラボ。
二曲目もかっこいい。原曲がすでに良いのだろう。この曲はアイドル4人のフリもかっこいい。ラストでゲンドウ氏(曲中はほとんど映らず)がギターを渡したりしている。
とりあえず彼女らがもっと売れてもいいのにと思う。曲は良い。
「ヤなこと」の曲も聞いてみたらオルタナ感ありのギターサウンドで結構いい。Perfumeのエレクトロワールドのギターがかっこいいてきな感じだけど、もっとオルタナ寄りサウンド。
「ヤなこと」とのコラボについてゲンドウ氏のコメント ファーストフル„1“のインタヴューから
──今回のアルバムはゲンドウさんもめずらしく何度か聴き直しているそうですが、ご自身ではどんな部分が気に入っていますか。
G:良い意味で聴き流せるところでしょうか。ポップであることを恥じない。
──その姿勢は、たとえばヤなことそっとミュートやおやすみホログラムといった異色の対バンを積極的に行なうようになったことも関係していますか。
G:もともとカルチャーとしてアイドルは好きだったけど、ここ最近の楽曲派と言われるアイドル・グループのアプローチは見て見ぬ振りは決してできないクオリティだと思います。俺がそういうスタンスを取ることに批判的意見もあるだろうけど別に気にしない。言わせておけばイイと思う。
『コリーニ事件』ドイツ映画(2019年) 良作
2019年ドイツ映画 日本では2020年劇場公開 良作
劇場で2回見た(1回目は途中で尿意が我慢できずに1、2分見逃したのもあって)。
クライマックスの法廷劇の展開のための布石が色々置かれる前半はやや展開が重いが、後半のドラマの展開には引き込まれる。
↓予告編
ストーリー(ネタバレしない程度に)
主人公はドイツの弁護士カスパー・ライネン。彼は生粋のドイツ人ではなく、トルコ系。ドイツではトルコ系の人々は移民(かつては「ゲスト労働者」と呼ばれた)とその子孫として多く居住している。典型的イメージとしては、彼らは、ブルーカラーか、ケバブなどの販売者、トルコ人向けの商店、タクシーの運転手などを職業としている。この映画ではトルコ系の主人公ライネンは新人弁護士。
ライネンが弁護士になれたのは、富裕なドイツ人のサポートがあったからだった。彼が弁護士となって最初の仕事は、彼を助けてくれたこの富裕なドイツ人を殺した犯人(イタリア系)の弁護だった・・・というところから映画は始まる。
恩人を殺した犯人の弁護を、そうとは知らずに引き受けたライネンは葛藤はありつつも、弁護士として関わろうと決める。前半は、このライネンの葛藤、検察側に立つかつての教師とのやりとりなどが繰り広げられる。この映画は要素は割と複雑で、法廷劇として、法概念が重要になる部分と、職業人としての立場と個人の生い立ちの間で繰り広げられるライネンの葛藤と、事件の被疑者であるコリーニの過去が入り混じっている。
前半はライネンの葛藤と、法廷劇の布石が色々と張り巡らされる。ここはやや地味な展開だが、よく見ると興味深い描写も多い。後半は、法廷での弁論が進むのと同時に、コリーニがなぜ、ライネンの恩人を殺したのかという秘密が、第二次大戦中の昔にまで遡って明らかにされていく。コリーニはナチス・ドイツ占領下のイタリアで生まれそだっていた。イタリアとドイツは当初同盟国だったが、イタリアが降伏後はドイツはイタリアに攻め入っていた。コリーニはこの中で育ち、ある事件に深く巻き込まれる。かつての事件と、現在の事件が結びついていくところ、その秘密の結び目が明らかになるところが本作のドラマ的なクライマックスである。
ラストのシーンと合わせて、観客の心を揺さぶる仕上がりになっている。法廷劇のところは、必ずしも簡単ではなく、誰でもスッキリ理解できるものではないが、過去と現在を結ぶドラマが感情に訴えるものになっているために、誰でも感動できる作りになっている。このあたりのバランスがとても良い映画である。
原作は未読なので、比較できないが、映画としてはうまくまとまっていると思う。あえて言えば、前半で取り上げられた主人公の弁護士ライネンの心理が、後半ではほとんどプロフェッショナルな弁護士として出来上がっていて、彼のドラマがほとんどどこかへいってしまっている点がやや残念かと思う。とは言え、全体としてみての出来を考えるとそれもあまり問題ではないだろう。
役者
主人公を演じるのはチュニジア系オーストリア人であるエリヤス・エンバレク(ムバレク)。
この人は若い頃からドイツ映画に出ていて、大抵トルコ系で、タフかつセクシーな若者役が多かった。本作でもトルコ系だが、「トルコ系にも関わらずインテリ」という設定。本作で彼のキャリアが一歩上に行った感がある。
殺された恩人の娘で、ライネンの恋人(と言っていいか微妙だが)はアレクサンドラ・ララ・マリアが演じる。
原作は日本でもその筋では比較的有名なドイツの作家シーラッハの同名作品。
audibleはしっくりくる。又吉直樹『劇場』を聞いて。映画との比較も。
最近audibleを使い出した。
観たい映画も読みたい本もたくさんあって、netflixなんかも入って観たいが、時間は限られている。皿を洗いながらなんとなく本を読めたらというのはとても魅力的だった。
子供の頃、寝るときにカセットテープで、児童文学の朗読テープを聞いていた時があった。
芥川の「蜘蛛の糸」とかが入っている『赤い鳥』名作集と、宮沢賢治の童話や『風の又三郎』など少し長いものを聞いていた。大抵一本聞き終わる前に寝てしまうのだが、全部聴き終わって無音になると、なんか変な感じがしながら、少し起きていた。
父親が買ってきていたテープはたまに増えていて、何か性的なニュアンスもある、当時としてはよくわからないが、何か「穏やかではない」ことが語られていることだけはわかる話もあって、妙な気分にもなった。
といった背景もあったので、個人的には朗読を聴くのはとてもしっくりくる。
最初は、話題の本で読みたいけど、長い本をということで『サピエンス全史』を聞いた。
これは想像力が人間の文化や歴史の形成に果たす役割を論じるところが大変面白く、聞いて良かったと素直に思えた。例証的に入るエピソードがくどかったりする部分は、気が利いてるようでダラダラしてるので若干イライラしたが、毎日皿を洗ったり洗濯物を干す結構長い時間を楽しい時間にしてくれた。
audibleに登録すると、無料で聴ける作品というのもあって、月間プッシュみたいなやつがあった。2020年12月は『人生は楽しいかい』といういかにも自己啓発っぽいやつで、しばらく放置していたのだが、まあどんなもんかと思って聞いてみた。最初の導入の章がちょっときつかったが、次第に「システマ」の話だとわかって、ワクワクした。システマはロシア特殊部隊の格闘技術で呼吸法を重視するらしい。システマ芸人のネタを昔見たことがあって、「アレか!」と妙に納得した。
自己啓発系の作りだが、システマのエッセンス的なものはわかった気がするし、呼吸を意識するというのはすぐに実践もできて、実際役にもたつ(聞いただけの真似でも歯医者での恐怖や対人関係の緊張を呼吸でかなりコントロールできるように思います)。
本だと、あえて手にとって、こちらから読んでいこうとしないといけないが、聞き流しから始めると、あえては手に取らないものも、まあ聞いてみようかという風に受容できるので、出会いがあるなというポジティヴな感触を受ける。
その流れで次の月に無料プッシュされていた又吉直樹の『劇場』を聞いてみることにした。
又吉は「ピース」というコンビで出ていた吉本芸人で2015年に『火花』で芥川賞を受賞している。彼についてはたまにテレビ番組で見たことはあったが、ネタは知らない。風貌から「シュール」な感じなんやろなあとは思って気にはなるが、なんか面白いことを言っていた記憶が全くないので、嫌いではないが、一体なんなんやろうというような曖昧な印象を持っていた。ただ、伝え聞く情報からして、実際本はすごい読んでるんかなとは思っていた。
とはいえ、出版業界と文学の停滞をなんとかするための話題作り的受賞なんじゃないかとしか思っていなかった。
だから、最初は特に期待もせず聞き出したのだが、これがなかなかストレートに心に響くものだった。純文学特有のダラダラをよしとせずに、興味をひく展開、興味を途切らせない転換を意識した構成になっている。そして、ところどころに挟まれる印象的な言葉遣いがズシリとくる感じが良い。特に第二章での、恋人との些細な幸せを感じる場面や、同級生となんとなく心が通じた時の淡い感動のようなものを描き出す場面の眩しさが途方もなく懐かしい。世代が大体一緒なのもあってか、大変懐かしい感じを覚える。それは既視感というのではなく、あのとき感じたものはこういうものだったということを再認識させてくれるようなもので、忘れていた感覚を呼び覚ますようなものだった。だからそれは、「新しい」ものでは多分ないのだが、ある種の普遍的な感覚とその記憶を的確に捉えたもので、その捉え方の的確さが、少なくとも私にとってはストレートに的を射抜いたような感じがあった。
映画版との違い
『劇場』については、映画化もされている。小説の方が、内面の独白が綿密になされる分ドロドロが強く、映画は俳優がキレイなこともあってさらっと見える。ただ映画も本質はきっちり拾っていて良い。核にあるものがしっかりとあるので、どっちから入ってもいいのだと思う。
おそらく一番違うのが劇団「まだ死んでないよ」の「田所」に会う場面で、小説と違ってライバル演出家の「小峰」にも会う設定になっているところ。小峰が、永田に「いつかまた、舞台やってくださいね、見に行きますんで」と声をかけるところ。そして小峰が自分の劇団の名前を「まだ死んでないよ」です、というところ。小説でもこのライバル劇団は、単なる敵ではなく、ある種主人公永田の鏡になっている。どんなに腐って、ダメになりそうになっても「まだ死んでいない」という一線だけは保っている主人公が、もしかしたら達成しうるかもしれない成功を劇団「まだ死んでないよ」は体現している。死んでいなければ、いつか蘇って、輝けるかもしれない・・・その希望をライバルの姿の中に見出す構造になっている。実際永田は「まだ死んでないよ」の講演で涙する。
もう一個大きく違うのが、青山とのやり取りの捨象。これはまた書く。
主人公の「まだ死んでない」がゆえの魅力
主人公の魅力(彼は現状明らかにダメ人間である)は、現状ダメ人間だとしても、自分の可能性を信じているところにある。多くの人間は、「現状で証明できていない可能性」を信じることを恥ずかしいこと、「イタイこと」だと考える。だが、永田はイタイことを恥じつつも、痛みを抱えた上で、可能性にかける。現状では、才能が足りず、全く上手くいかず、サキに甘えるばかりのダメ人間である。だが、そのことを自覚しつつ、現実に軍配を上げずに、可能性に向かおうとするところである。
ジェンダー的観点
サキの青春と若さの幸福を共有しつつ、それを何にも結実さえ得なかった点で、結果永田はサキに対して非道とも言える仕打ちをしたことになっている。サキのキャラクターを含め、ポリティカル・コレクトネスおよびジェンダー的な観点から言うと大いに問題はある。だが、小説では、そういった観点への反論も入っていて、どちらが正しいかわからない形にしていて、その辺ギリギリのバランスをとっている。
ジェンダー的には非常に古い。個人的には『赤色エレジー』から一歩も進んでおらず、あえてそれを反復しているのではないかと思われる。又吉は『赤色エレジー』を愛読書に挙げているので、この見方はおそらく的を射ていると思う。
古臭いわけだが、ニュースタンダードに照らすと、母親世代の価値観が救われないと言う視点はそれ自体重要な視点だと思う。
以下、各章についてひとまず書いたものを記しておきます。
________________________
第一章
主人公は、冒頭では、ほとんど気狂いめいていて、中学校のクラスに一人か二人くらいいた、正体不明の全くわけのわからないような輩を思い出させる存在である。しかし、どうしていいかわからない周囲や社会との折り合いのつかなさを抱えたことがある人間であれば、奇妙な親近感を覚える人物だと思われる。
著者が又吉直樹であるということはこの作品の一つの強みである。情熱を傾けながら成功を望んで何かに打ち込んでいる人物が出てくるだけで、具体的にそれをほのめかすことなしに、「彼が売れなかった頃に考えていただろうこと」をこちらに想像させられるというのは、彼の強みだろう。例えば次のような読者に想像と共感を呼び起こすことができる。
読者の一例:小説の主人公永田同様、自分にそれなりの自負があり、しかし明確な成功を得てはいない、ある程度折り合いはつけているにせよ、自己評価あるいはあるべき自分と社会的な評価あるいは現状の自分が一致していない読者、彼は例えば次のような考えを抱く。
「又吉はテレビに出て、皆に知られ、かつ芥川賞受賞作家だ。自分は彼の何がすごいのか知らないが、少なくとも世間的にみて彼は成功している。テレビなどでそれを知っている自分は、彼のことをそれほど偉いとは思っていない、というのは、自分もそれなりに自負を持ち、世間的な成功では及ばないかもしれないが、別にそれを恥じず、その意味では又吉に対して劣等感も抱かない。とはいえ、比較すれば明らかに又吉の方が華々しい。その又吉が書く気狂いじみた危うい主人公。自己評価と社会的成功が食い違い、それに狂気じみた劣等感を抱きながらもがく主人公の姿は、「いつか日の目をみるだろう自分」の現在や過去とどこか重なってくる。こうした主人公を書いている又吉は、おそらく自分と同じような問いをかつて抱えたことがあっただろう。そしてこの問いを物語として、作品として、主人公をはじめとした人物のドラマとして再現し、多くの人に問いかけている。「問い」を、自分に再び突きつけている又吉は、少なくとも自分と同じ境遇にかつてはあった。その又吉が、ある意味読者である自分のことを書いている」。
思想書でも小説でも「自分のことが書かれている」と読者に一片でも思わせることができれば、それだけでその作品は少なくともその読者にとって大きな価値を持っている。テレビに出ている芸人という又吉の顔は、かつてはテレビに出ずになんらかの下積みや苦労、苦闘をしていただろうことを読者に想像させる。この想像力の作用を、又吉は結構うまく使っているのではないかと思う。
第二章は端的に幸せである。女性の描き方はどうなのかというところはある。こんな女神がいていいのか?女性であれば、これをどう思うのか? といった疑念は湧いてくるが、とにかくこんな幸せがあっていいのかと思うほど、愛おしい場面が続く。このあたりも、後の展開を考えると割ときっちり構成されているようで、技量を感じさせる。
恋人とともに作り上げた舞台が成功していくのは、本当に夢のように幸せを感じさせる。ささやかながらも、白々しいまでに幸せな、小さな成功が語られるとき、聞いていて、本当に嬉しくなってしまう。
それゆえ、次の章で、成功への道が怪しくなり、二人の関係を重苦しさが侵食してくるところは、本当に辛くなってくる。恋人サキは純真かつ天真爛漫だったのだが、主人公の鬱屈の影に侵食されて、少し暗い部分が生まれてきている。不安を隠しながら恋人を傷つけないように振る舞うことが主人公を傷つけ、主人公はサキに八つ当たりもするのだが、この時のサキの健気さと主人公ナガタのダメさ加減の描写もとても上手い。特に新鮮な話ではないのだが、主人公の一挙手一投足は、既視感として凡庸に映るよりも、「これはやっちゃいけないやつだ」という形で描き出され、息を呑んでしまう。文豪の名前をつけたサッカーゲームのプレイなど、やや軽めのエピソードでまとめることで、重苦しい真面目さに耽溺しないところもうまいと思う。
「現実」との関わりが出てきてからの焦燥の展開は『赤色エレジー』を思い出させる。このあたりの描写も、非常にうまいと思う。『赤色エレジー』を思わせるくらいだから、特に新しくはない。だが、私は『赤色エレジー』のことを思い出すときは、必ず心が揺れ、涙も流れる。赤色エレジーはたかが漫画であり、たかが物語だが、とても心に突き刺さる。その突き刺さる感覚と劇場は共振する。私にとっては赤色エレジーなのだが、別に赤色エレジーでなくても構わないだろう。ベティ・ブルー、愛より強く、なんだろう? とにかく、何か強烈な記憶と結びつくのではないだろうか。幸せな世界で葛藤なく幸せでありたいのに、やはり現実とも向き合わなければならない、という困難を抱えたことがある人であれば、他人事とは思えない話である。
野原のキャラ設定もいい。今は会わないが、学生時代の一時期多くの時間を共有した友人が浮かんでくる。そう言った友人の思い出は全ていい思い出になっている。いい思い出のみに昇華された友人野原は、その意味で既に物語的存在であり、実際小説中では、野原によって何か現実が突きつけられたり物語が駆動することはない。ある種そういう存在でしかないのだが、実際に「いい友人」の記憶はそういったものとしてあるように思う。そういういい友人の理想形が野原である。こいつの実体は不明だが、彼は間違いなく「いい奴」である。
彼の存在感がサキと反比例するように後半消えていくのは、やや勿体無い感じがするが、最後まで読んだ上で言うと、やはりサキとの葛藤がこの作品の肝なのだろう。
サキに関しては、最初のうちは無垢な女神として現れるが、結末に近づくにつれて一人の人間として浮かび上がってくる。サキの人物造形はどれくらいリアリティがあるかは少々疑問だが(おそらく女性であればかなり引っかかる)、個人的印象としては、こういう女神的女性はたまにいるように思う。
永田は、あるべき自分と現実の自分との葛藤、あるべき自分へと向かっている自分の姿を他人にも共有して欲しがっているが、客観的には、そこへ向かいきれていないという後ろめたさに苛まれる。こういうあり方は、自己評価とプライドばかり高いが、現実にはそれに見合う努力をしきれていない多くの人間にとってリアルである。だが、そうした人間たちが主人公永田に共感できるのは、現実にはそれに見合っていないのは認めざるを得ないが、それでもなんとかしようとする気概のかけらを共有しているからである。
サキとの舞台での脚本に、サキが記していた「永くんすげえ」を見たときに、永田がいう、「全然すごくねえよ、こんな風になってしまったよ」という侘しいセリフ・しかし、そのあとの展開から窺えるのは、彼は少なくとも「まだ死んでいない」ということである。
サキと二人で幸せになることはできなかった、男女は別れざるを得ない。だが、二人が幸せになるヴィジョンは、少なくともそのヴィジョンはまだ死んでいない。
ヴィジョンが死んでいなければ、そして、そこへ向かおうとする気概のカケラが残っているのであれば、いつか何かが生み出せるかもしれない。
そのような微かな希望を描くこの作品は、辛さや不甲斐なさと同時に、読者を励ます力を持っている。少々甘やかすような素振りもあるが、それでも、次に向かうための慰めとして肯定できるものではないかと思う。
ラストについて
小説版と映画版は基本的に同じ。
二人で色々話し込みながら夜中までかかって作った猿のお面が出てくる。
小説は、作品全体の筋をまとめつつ、サキとの関係が単なる破綻ではなくて、笑顔で終わったということで上述の微かな希望を感じさせて終わる。
映画版は、基本的には一緒だが、映画ならではの形で、「劇場」へとさらに展開する。観客としているサキが「ごめんね」という形にしている。舞台はおそらく最初のサキと一緒の公演である。二重性は小説でも十分感じられるが、わかりやすい、かつ色々多層的な分想像の余地はさらに広いのではないかと思われる。
映画は、映画ならではの表現も活かしつつ、ドロドロしすぎる部分をサラッと流すことで、より多くの人に受容することを可能にしている。その意味でよくできている。
映画にないものとして最後に一つあげると、サッカーゲームで選手に文豪の名前をつけて、ゲームの中で小さな全能感に浸りながら焦燥するシーンである。このシーンが一番「又吉らしい」感があるので、映画だけ見た人はぜひ小説も読んでください(audibleでいいと思いますが)。
audibleの朗読は豊原功補。抑えめで、暗い部分が際立って良い。暗さを前景とするので、ニギヤカシの部分の辛さも際立って良い。関西弁はしっくりくるのかはよくわかりませんが、非関西人としては問題なし。
COWPERSについて
zArAme(ザラメ)とDON KARNAGEのスプリットCD(およびレコード)を先日購入した。
購入が割と変わった形で、レコード保護の段ボールにはボーカル・ゲンドウ氏のサインもあったりして個人的には感動的だったのでそのことについて詳しく書きたいのだが、ゲンドウ氏の前バンドCOWPERSも懐かしくなって聴きだして止まらなくなったので、まずはCowpersについて書きたい。
おそらくこのページに来ている人は、COWPERSにやられている人が多いと思うのだが、zArAmeは聞いたが、COWPERSはまだという人もいるかもしれない。どちらのタイプの人にも読んでいただけたら幸いである。
筆者はリアルタイムでは解散直前のfeedback Insanityを買ったりしていたが、ライブは残念ながら見ていない。そのかわり手に入るものは見つけたら買っていたので、それらについて書く。
COWPERS
バンド概要
・COWPERS(1992年〜2002年)。ツインギターのメロディの絡み合いが素晴らしい札幌発のパンクバンド。メンバーはvo. gt: 竹林ゲンドウ、gt: 高橋カズトモ、ba: 小森ノゾミ、dr: 浜野ナオフミ(漢字カタカナの表記は割とぶれていたと思う。例えば「竹林現動」など)。同じく北海道出身のブラッドサースティーブッチャーズ、イースタンユース、ファウルなどとよく並べて言及される(ナンバーガールの向井秀徳が札幌での解散ライブのMCで敬愛する北のバンドとして、eastern youth, foulなどと並んで挙げていたのが有名)。こうしたバンドとは音も広い範疇でみると似ている。ニルヴァーナ、スーパーチャンク、フガジなどの影響が指摘されるが、ツインギターの絡み合いはカウパアズならでは。シューゲイザーの影響もあるかも。mogwaiなどとは時代を共にしている感じ。バンドの音のバランスが良く、メロディーが結構キャッチーで、人気者になっていたらみんなで歌えただろう曲も多数アリ。バンド名はネタっぽいところもあるが、ギャグバンド要素なし。
筆者は一時期札幌に在住しており、当地の中古CD・レコード屋に通っていたのだが、確か2004年くらいカウパアズは解散した後に店の人が「この前ゲンドウさんが来てCureのCDを買っていった」と教えてくれた。キュアーはゴスなパンク〜ニューウェイヴバンドだが、当時あんまり知らなくて、ヴィジュアル系の源流みたいな印象を持っていてゲンドウ氏は「色々聞く人なんだな」と思ったのをよく覚えている。その店には割とよく来ていたらしい。
アルバムについて、そして曲と演奏の魅力について
Lost Days
フルアルバムは2枚出している。どちらも名盤。まずは1枚目。
轟音と叙情性の融合した名盤として名高い『Lost Days』 。一曲目Lostの轟音部分が、同時期のMogwaiなども思わせたり、Curve IIでのViolinも入ってくるメロウな感じもサッドコアなどと言われる同時代ハードコアとの共振を感じさせる。轟音と叙情性の組み合わせというと、同じく札幌出身のブラッドサースティーブッチャーズを思わせるかもしれないが、ブッチャーズや上述のmogwaiなどの音にハマる時とは違って、COWPERSの音は「浸る」というよりもノる感じである。頭でリズムを刻みながら浸る感じといったほうがいいか。COWPERSは、全体にテンポが程よく速いのと、声が鋭いのと、ギターがジャキジャキするのとで、リズムの波に揺られるのではなく、一緒にリズムを刻む感じになる(Curve IIはスローテンポ)。
アルバム一曲目 Lostビデオ
Youtubeに上がっているもの。アップしてる人に感謝。
曲と演奏の魅力
カウパアズの中毒性は、ボーカル・ゲンドウ氏の声にもあるが、歌うツインギターにあると思う。リフや間奏部のツインギターの絡みがクセになるのはもちろんなのだが、歌の背後で鳴らされるギターがとても耳に残って中毒性の元になっている。ボーカルに重ねるようにギター(カズトモ氏が弾いてると思われる)が同じようなメロディーを鳴らして補完したり、あるいはもう一個別のメロディーを鳴らしているのだが、これがとても魅力的。叫び声だけだとメロディーとして弱いかもしれないところに、ギターが補う形になっていて、声とギターの相乗効果が起こっている。これは、雰囲気はだいぶ違うがSuedeのバーナード・バトラーのギターみたいな役割を果たしていると思う。
ギターはめっちゃ上手いわけではないと思うけど、多彩。Lost Daysや初期作ではシューゲイザー系の轟音も多用。要素は色々あるがどれも自分たちのスタイルになっている。
ギターと歌の絡みだけでもすごいのだが、ベースもグリグリ動き、かつベースの小森氏のコーラス(というか一部ツインボーカル)も入ってくる。なので、歌、ギター、ベースいずれかのメロディーが常に聞き手に届くようになっている。歌のいずれかのメロディーが耳に残るので、何度も聴きたくなるのだと思う。そしてそれを活かすためにか、音のバランスも、うるさすぎて聞き取れないといったことがない。構成とリズムも「最小限に凝っている」という形で、聞き手を置いてきぼりにしない。
Lost Daysの展開
一曲一曲展開や各パートの見せ場がバランスよくなっていていいのだが、アルバム全体の曲はの展開も結構考えられている。パンク系だと、アルバム一枚全部同じような曲みたいなこともあるが、アルバムLost Daysは曲のバリエーションと配置が工夫されていて、一枚通しての統一感をしっかり出しつつ、飽きない作りになっている。
Lostでガツンと始まって轟音系の曲が続くのを4曲めのCurve IIで一旦締める。エモくなりすぎたのを照れるかのように5曲めCrawl Spaceでジャンクな轟音パンクミクスチャー曲を挟んで、6〜10曲目のギターポップパートに移行する。女性ボーカルと力強いギターの組み合わせが印象的な小曲 Out of Bunchから、ゲンドウ節全開のパワーポップ(7曲目)を挟んで、6,7をミックスしたようなDaysに移行。この三曲は曲調も似ていて、組曲的展開。Daysギターアウトロ後に9曲目にCurve。この曲は名前の通り4曲目Curve IIの原型(おそらく)。バイオリンなどなしのパワーポップバージョン。爽快。アルバム前半は重めの轟音、で中盤はパワーポップになっているが、CurveII, Curveの変奏でアルバム全体の統一感が打ち出されている。10曲目は引き続きのパワーポップ。エモいサビが印象的。つなぎの11曲目(つなぎだが、ギターだけじっくり聞けるので良い)を挟んで、1曲目のlostの対になるような12曲目Rustで締める。rust=錆(サビ)はゲンドウ氏お気に入りの言葉のようで、よく使われている。
1998年のライブビデオのタイトルはRust Days。youtubeに上がってます。再販してほしい。
インタヴューもあり。メンバー・スタッフ間も仲よさそうです。
『揺ラシツヅケル』 名盤!
このアルバムから歌詞が日本語。それもあって前作よりも歌に重きが置かれている印象。 テンポの速い曲も多いが、スローに聞かせる曲も多い(特に後半)。ツインギターのからみとベースがグリグリいってる感じは健在、というかさらに深化している。ドラムのリズムパターンも前作よりひねりが聞いている。スピード感は前作ほどはないので、好みは分かれるかもしれないが、個人的にはこちらの方が広がりがあって好き(前半でやめることも多いが)。
「玻璃」「斜陽」がリード曲。
漢字の感じが文学チックなのも、曲にマッチしていて良い。Nahtに関してちょっと書いたように英詞だから気にならないが仮に日本語だとちょっと恥ずかし区なってしまうような曲やバンドは結構多い。例えば個人的に好きなものだとスマパンの詞は日本語で歌われてたら、ちょっと恥ずかしくなっちゃいそうな曲がちょいちょいある。Mayonaiseとかはギリギリのライン。で、青臭くて恥ずかしくなるの自体は悪いことじゃないと思うが、クールではない。Cowpersは歌詞もエモさも程よく枯れているというか、ちょっと雅語っぽいのを入れて、感情ダイレクトにしてないことによって、距離感とクールさがキープされている。
シングル『斜陽』収録の「予感」
個人的に一番好きな曲は3曲めの「予感」。アルバムヴァージョンとシングル「斜陽」収録ヴァージョンがある。リンクはシングル収録ヴァージョン。こっちの方が鋭い。
ギター二本にさらにもう一、二本重ねている。構成は割と単調で、同じことの繰り返しだが、ギターのリフとその音がカッコよすぎるので、何度も聴きたくなる(もちろんベースも歌もドラムも良い。)。「予感」をはじめ、このアルバムでは、なんていうエフェクターの効果かわからないが、高音のハーモニクスっぽい音で鋭い、かつユラユラした音が目立つ。フガジのAugumentとかにも通じる音。Lost Daysはこういう音はあんまりないと思うが、これによって奥行きと深みが増している。シンセサイザーっぽい音も結構鳴っていて、これも良い。
「予感」と同じようにギターアンサンブルが素晴らしい最後の曲「錆色ノ月」は、攻撃的で尖った「予感」とは違って、夜空に向かってギターを鳴らすような叙情的な曲。「何処へ?」という叫びと、ギターの音が心に響く。
アルバムは前半は勢い良く聞ける。後半重めだが、どっぷりハマる良曲揃い。秋の夜長に一人ヘッドホンで聴きたいアルバム。全編を通じて、「斜陽」の歌詞にある「隣人の顔さえ知らず、足元に斜陽をこぼす」などの歌詞に象徴されるように、都会での孤立状況が前提にある。直接的な共有や連帯については語られないが、曲を聴きながら、孤立した者同士が、離れた距離で密かに連帯しているような情景が浮かんでくる(連帯というより孤独の共有といった方がいいかもしれない)。イメージを喚起するような音楽はいい音楽だと思うが、その意味でとても良い音楽である。
『揺ラシツヅケル』各曲一行(たまに二行)レヴュー
1 「玻璃」
絡み合う三本の弦楽器がノンストップで鳴り続ける代名詞的一曲。歌もエモい。
2「 ヤガテソコニイタル」
前曲と好対照のリズム。突っ走り切らないのにテンション高く叫び、ギターも高鳴る。
3「予感」
攻撃的反復ギターアンサンブル。「事件」は起こらずとも高鳴る予感の強さで聞かせる。
「雪」「風」「雨」が「揺らし続ける」情景もエモーショナル。
4 「記憶人」
テンションを抑えた繋ぎ的なインスト曲。それでも鳴り響くギターがエモーショナル。
5「斜陽」
シングル曲。青春を一度終えて恥辱の歳月も知った後の疾走感。サビではまっすぐなギターとコーラスが絡み合う。前に進んでいく一曲。
6「シアン」
前曲とは対照的に、立ち止まり、後ろに引っ張られる曲だが、サビの合唱がまっすぐでエモい。
7「8/1」
前曲に引き続き、ややスローな曲。ギターの音がシンセっぽくて面白い。ギターソロは熱い。
8「揺」
前曲の流れを受けて始まる。スピード感や攻撃性は抑えめだが、情熱的で厚いギターが鳴り響く。
9「錯覚ノ海」
引き続きエモい。間奏部分のヒートアップ感がフガジっぽい(?)。
10「錆色ノ月」
ややサイケなギターと「何処へ」の叫びがエモい曲。展開が結構多くラストを飾るにふさわしい大曲。一旦静かになってからの最後の盛り上がりが圧巻。明るい響きで終わる。
Live映像。熱量も演奏も素晴らしいライブ(熱量と表現力のバランスがとてもいい)。曲も玻璃、斜陽、white light white heat, lostと名曲の連続。
「玻璃」「斜陽」は2nd 『揺ラシツヅケル』
„White Light White Heat“は200mphとのスプリットcd『Feedback Insanity』
„Lost“は1st『Lost Days』に収録
小名盤『Feedback Insanity』
解散前に出した最後のCDで200mphというバンドとのスプリット。
このCDに関しては、まず200mphがものすごい。スーパー疾走感のある曲の上に語りと絶叫のボーカルが乗っかってくる(普通の意味での歌はない)。何を歌っているかよくわからないところも多いが、演奏自体が一つの情景として浮かぶ。カウパアズと同じくギターのメロディーがしっかりと伝わるので、訳わからないということもなく、ロマンチックですらある。200mphはしばらく後にアルバムを出していて、本CD曲も再録されているが、勢いはこのCDの方が上。
COWPERSの方は、演奏に一部ブレがあるが(各楽器のリズムが噛み合いきっていない)、『揺らし続ける』の叙情性と冷静さを激しさをキープしながら、深化させたエモい3曲が収録されている。White Light White Heatは展開が面白い。イントロからAメロまでの入りと普通のリズムが入ってくる感じがちょっとガクガクしていて、それも含めてかっこいい。bメロのエモい疾走感から、一瞬止まってサビに行く流れが面白い。In this Cageは歌が印象的。咳から始まるイントロも、徐々にテンションが上がってサビに入る展開もかっこいい。Aメロの抑えた感じとサビの爆発のコントラストが良い曲だと思う。WaveForms of Distortionのギターの感じがシンセっぽくてキャッチー。
Split CD
1. 200 mph: 風にまぎれ、時にまみれ
ギターがメロディーを奏で、ボーカルが叫び、ドラムが疾走してグイグイと引っ張っていく。ベースがところどころ唸るのもカッコいい。
8/8拍子の爆発パートとそれを3, 3, 2にした控えめパートの交替で構成されている。どっちもカッコよくて、勢いが最後まで途切れない曲。ボーカルの叫びと詩の朗読的パートのバランスも良い。
2. 200mph: 夏色の川の前で
いきなり始まったと思ったらその後怒涛の6/8拍子で疾走していく。これも爆走パートと静寂パートの交替で単純だが、勢いが続いてカッコいい。
3. 200mph: 静かな川
3/3/2の曲でベースからの入り。ギターの音が華やか。他の曲同様、ボーカルが熱い。詩は全部は聞き取れないが、断片的に聞こえる「思いを超えて響きあう」だけでグッとくる。
4. Cowpers: White Light/White Heat/ White Room
ここでCowpersに交替。このCDでのカウパアズはギターのエフェクト的なところでサイケデリックな感じがいいアクセントになっている。録音の仕方だと思うが200mphよりバンド全体の一体感というか勢いは落ちる。Cowpersの方は別々にとって重ねた感じがする。勢いは100点ではないが、曲は良曲。Aメロ、Bメロ、間奏、C、間奏でサビに入る展開が面白い。オーラス部分もドラマティック。
5. Cowpers: In this Cage
Cowpers、このCDでは一曲一曲の存在感がすごい。ドラムから静かに入って、バンド、歌と入ってしっかり聴かせつつ、自然とサビに入る展開からまたAメロへの展開。「砂を噛む」のフレーズが耳に残る。Aメロもサビも二回目でパワーが増す構成になっている。間奏〜Cメロ〜サビの盛り上がりもカッコいい。
6. Cowpers: Waveform of Distortion
ドラムから入る。このCDのCowpersの音の分離感はドラムの音がしっかり聞き取れる生々しさにもよると思うのだが、それが際立つ曲。この曲は弦楽器のアンサンブルとサビ部分のコーラスがとにかくカッコよくて、リズムをもっとこなれた感じにできなかったんかと思うところもあるが、何回も聞いていると結局それがいい味になっている。変な単語も使われているが全編歌詞がしっかり聞き取れてよくわからないなりに共感を誘うのがいい。最後のシンセサイザー(?)での味付けもいい。
ということで、もしこのCDを見つけたら是非手に入れてください。
どっちのバンドも何度聞いてもかっこいいです。
おまけ Nahtについて
COWPERSと同時期に活動して、親交もあったバンドにNahtがいる(スプリットCDも出している。ツインギターで歌メロを大事にする点なども似ている。Nahtの方が、個々のプレイのうまさだったり歌やメロディーのインパクトは上のところもあると思う。しかし、個人的には上で書いたような全体のバランスと各パートが交互にメロディーを響かせるアレンジなどの力でカウパアズの方に魅力を感じる。
Nahtは3枚か4枚アルバムをだしていると思うが、ここでは、1枚目と2枚目を紹介。まずは1枚目。
ギター・ボーカルのseikiはL'Arc〜en〜Ciel声で普通に上手い。サビが大体インパクトのあるメロディーなのだが、それ一本でサビを繰り返していくパターンに個人的には少し飽きてしまう。サビ前の展開などは大体格好いい。ギターは刻みがかっこいいのとピッキング・ハーモニクスなどの技が光る。ドラムがうまいけど曲に有機的に統合されきっていない感じが残るのと、ベースが目立たないのが残念。間奏や楽器だけになるところのメロディーが弱めなのが、Cowpersとの違い。またリズムや構成が割と複雑で、何回聞いても覚えられない部分が残る。と、不満を述べたが、1曲目、2曲目や5曲目a couple daysなど、特に前半いい曲が多い。
NAHT - A Couple Days- from Narrow ways
2枚目のアルバムはギターが抜けて代わりにviolinが入っている。叙情性を増しているが、上で挙げた「弱点」がむしろ目立つ。とはいえ、かっこいい曲も多く、実質1曲目に置かれたeither way you wantやAs Carma goesは名曲。
NAHT 「either way you want」(the spelling of my solution)
英語だからあまり気にならないとはいえ歌詞がなんか青臭い。しかし、そこも含めていい曲。この曲はベースも歌っていて良い。
As Karma GoesはEastern Youth主催のコンピレーション・アルバム『極東最前線』にも収録。こちらはバイオリンがシンセサイザー(か何らかの電子楽器)っぽい。アルバムよりもサイバー感が強くて、ちょっと加工感のある強度だが、こっちの方がキレがあってかっこいいと思う。
ということで、文句もつけましたが、Nahtもとても良いです。
両バンドとも、1stアルバムの方が激しく、スピード感が前に出るのに対して、2ndが、スローで内省的な要素も強めているという点も似ています。
Nahtと比べるとカウパアズの特色は、各人の声や演奏の良さもさることながら、全体としてメロディーを活かす構成、各楽器へのパート振り分けと飽きずにわかりやすい曲構成を考えていることにあるというのがわかります。
Cowpers初期
初期のシングルなども再録したミニアルバム。ジャケの絵は誰がかいたんだろうか? ゲンドウは結構アニメファンらしいとかの噂も(4 gigaのフォウがZガンダムのフォウ・ムラサメに通じるとの発言をしたとかしないとか・・・個人的にはzガンダムはツボ)。内容はアマゾンレヴューにある「ハードコアなのにメロウ」というのが個人的にもしっくりくる。snow bird(の特にベース)がキャッチーで良い他、後半の方の長い曲(確かBig Muff)も良いです。ギターの単音遣い、ディストーション具合とキレの良さのバランス、音の洪水も用いるなどバリエーションが多い。ベースもグリグリ動いて耳に残ります。ボーカルは叫びも多いがぶっきらぼうに歌うメロディーもどこかキャッチー。「泣き」の感じは、この頃はそんなにない。CDは購入が難しいようなので見つけたら購入をお勧めします。
発売は、上のものより後だが、初期シングルを集めたものなので、音源的にはこちらの方が初期のもの(?)。手元にないので細かい点は忘れたが、snow birdを始め、被ってた曲が少しあったはず。ハードながらも、これもアマゾンレヴューにあるように、聞いていくとキャッチーな部分が光る。泣き要素は後期に比べるとない。まだ購入可能の様子。4gigaにも収録のsnow birdはこちらにも収録だが、別ヴァージョン。アレンジが結構違うがどちらも良いので聞き比べがいあり。
カウパアズは注目されていたんだと思うが、メンバーの私事のため2002年に解散。残念。
カウパアズの解散に関しては、確かドラマー浜野氏が家庭の都合でバンドを続けられないという話をネットのどこかでみた記憶がある。食ってくためにはバンドは続けられないといった意味と理解した。インディーバンドに関してたまに聞く話で、いつの時期か忘れたがイースタンユースの吉野寿も、月給30万円欲しいと何かのインタヴューで言っていた。バンドで「成功」するのは難しい。だが、そんな中でやっていたのだと知ると、非常に親近感を覚える。
ちなみに『揺ラシツヅケル』発売前に一時期カズトモ氏が脱退していたらしい。その時も上京するか否かみたいな生活基盤に関わる話だったらしい。
このサイトはリアルタイムで聞いてた人が書いてるものみたいでかなり面白いです。
ブッチャーズ
ちなみに、Cowpersが「七月」をカバーしているブラッドサースティー・ブッチャーズに関してもかなり「生活」をめぐる軋轢が(あんなに有名なのに!)あったことはこのビデオ冒頭でものすごい伝わってくる。2011年のドキュメンタリーフィルム。
Nahtのセイキが出てきたりもしたりします。バンドの軋轢が生々しすぎるけど、実際バンドがうまくいったり、いかなかったりする瀬戸際みたいなものがヒリヒリするほどに・・・
て言うか、子供は吉村、田渕の子? カウパアズから離れるけど、なかなかすごい内容。ブッチャーズファンの人は知ってるものかもしれませんが、びっくりした。
Rage Against the Machineとフェスで共演(?)した時の吉村らの(レイジファンへの)反発とレイジのザックに実際会ったら、ザックが紳士的で結構いいヤツだった時の感じとか色々面白い。1時間25分くらいからのベース・イモリヤ氏の「ライブしか見栄を切る場がない」とかの発言も心震わせる。「テンポが速くて歌いづらい!」云々のやりとりも、リアル。ビデオではバンド全体としてのいい話に回収されてるが、実際のところ小松氏的にはかなりムカつくだろうな・・・とか、いろいろリアルな部分が映ってるのが魅力。
・・・
本記事を書いたのは、zArAmeでもレコードをネットを介してだが手売り的に売っている感じにとても感動したことがきっかけである。zArAmeはまだそれほど聞いていないので、またあらためて書きたい。zArAmeはコロナのためか2020年に活動を休止している模様だが、ゲンドウ氏はおそらく健在。今後も注目。zarameについても記事を書いたので、よければご覧ください。
amazonのリンク貼ったりしながら言うのもなんですが、zarameに関しては音源が本人たち運営のところで直で買えます。200mphとのコラボcdもまだ買えます。
『アングスト 不安』オーストリア映画 シリアルキラー視点の異色映画
1983年オーストリア映画 紹介動画
公開当時はオーストリアでは即上映禁止。ヨーロッパ各地でも禁止になり、私財をはたいて制作していた監督は破産という曰く付きの快作。日本では、上映されずレンタルビデオ化はされていたが、ほぼ埋もれていた。
どんな映画か? 怖い? グロい?
実在の殺人犯について、殺人者視点で撮られた映画である。タイトルの「アングスト」は日本語で言う「不安」。普通のスリラーやホラーだと、殺人者や怪物に脅かされる被害者の側の不安を観客は共有するが、この映画は殺人者視点なので、そういう意味での「不安」はない。
このブログの執筆者はホラー映画は怖くて一人で見られない。『リング』や『呪怨』くらいは見ているが、貞子が髪をとかしている場面が無性に怖くて、例えば風呂で髪を洗う時、なんか出るんじゃないかと思ってしばらくビビっていた。そういうタイプの人はおそらくそれなりにいると思うが、そういうタイプでホラー映画は怖くて見れない人でも本作は大丈夫である。
ホラーが怖いのは、なんか出るぞ、っていうのがわかっていながら、出るタイミングは作り手が操作していて、こっちが一番ビビりそうなところで、出してきたりされるからというのがあると思われる。本作や同じくドイツ語圏の最近のシリアルキラー映画『フリッツ・ホンカ』などはグロい所はあるが、ビビらされるところはない。なので、ホラーがダメでも映画が好きなら大丈夫。アートアートして意味不明ということもないので、好奇心や探究心があればとりあえず興味深く見られます。グロいのは一切ダメな人は無理かもしれない、そんな映画です。
(『フリッツ・ホンカ』は現代ドイツの代表的監督ファティ・アキンの異色作。こちらも実在のシリアル・キラーについての映画。見比べると殺人鬼のタイプも色々いることがわかる。以下もご参照ください。)
殺人者の「不安」
この映画では殺人者視点で話が進んでいき、生い立ちや彼の心理についてもそれなりに説明されるのでわけわからないということはない。犯人である彼が語るのは、自らの「不安」や誰かを傷つけたい、殺したくなってしまうという衝動である。タイトルの「不安」は、殺人犯が抱く謎の「不安」である。
実際の事件と同様、主人公である殺人者は、一度見知らぬ老女の家を訪れ、彼女を殺害して逮捕されている。映画はその場面と、それによって逮捕された後の監獄シーンから始まる。中心となる出来事は、逮捕された後8年後のものである。精神障害を主張したことで、8年ほどという比較的短い刑期を課された彼は、刑期を終える直前、職探しのために一時釈放される。監獄で彼が歩くシーンはなぜか異常に下からのアングルで撮られ、見ていてただならぬ感じを覚える。釈放された後、彼は、すぐに次の「獲物」を早速探し出す。
時代も感じる映像。字幕は無し。殺人者はよく喋る。
殺人者を演じるエルヴィン・レーダー Erwin Lederは青白いイケメン(実際の犯人と比べるとかなりイケメン)で、不健康な時のデヴィッド・ボウイ系統の感じ。例えば『フリッツ・ホンカ』のブサイク系なヤバい奴とはちょっと違う。潜水艦映画の名作『U-ボート』や『シンドラーのリスト』(SS役)などにも出ている俳優。
彼のモノローグからその異常性がよくわかる。だが、最初にも書いたようにそれほど驚かされるわけではない。彼の視点で語りが進むため、観客は、こういう人間もいるのか・・・というような思いで、彼の心理を淡々と追っていくだろう。彼の心理は興味深いが、当然感情移入はできない。観客は、共感はできない人物を中心に映る映像に、微妙な距離感で接していくことになる。
始まってしばらくは、彼が謎の不安と殺したい衝動を抱えていることが淡々と語られていく。「意外と大丈夫な映画かも、意外とおとなしい・・・」という感じ。だがもちろん、ただ淡々と続くわけではなく、彼が獲物に近づいていく中で緊張感が高まっていく。最初のクライマックスとなるシーンでは、彼が走り出すなり突然、大音量でBGMがなるのだが、ここはなかなかのインパクトである。次の曲のリズムがいきなり始まる。
映画のBGMはドイツの電子音楽のパイオニアであるクラウス・シュルツェ(アシュラ・テンペルやタンジェリン・ドリームに関わった)。サントラはCDにもなっていますが現在入手困難の模様。
上でもあげているようにYoutubeで聴けます。全体はなんかゲームの真・女神転生みたいな音楽(?)。怖・ミステリ・かっこいい感じです。
展開
その後、獲物を探し、見つけ、犯行を遂げていく様が描かれる。核となる事件は、彼が忍び込んだ家で起こる。ここはじっくりと撮られている。カメラアングル、小物、人物たちの演技・・・それぞれが結構印象深い。この辺り、あまり的確に位置付けたり論評したりするのは手に負えないのだが、とりあえず面白い映像だと思う(普通のモラルからは外れっぱなしですが)。
このあたりは是非機会があれば見てください。見た方は結構覚えていると思います。以下は、個人的感想です。
劇場で見終わってクレジットが流れてオーストリア映画と気づき、この感じ、オーストリアかも・・・と思った。オーストリアの映画はあまり知られていない。一番知られているのはフランスで活動しているミヒャエル・ハネケだと思うが、少し通じる。醜い、つらい、残酷な現実があったとして、それにあまり解釈を施さずに淡々と追っていくタイプのアプローチである(ハネケの場合は特に初期作)。この淡々と追うのをさらに突き詰めると、ウルリヒ・ザイドルの擬似ドキュメンタリー風ドラマになるかと思う。これについては以前の記事も見てください。
オーストリアはドイツとは違って、第一次大戦以降小国になってしまった。だが、20世紀の正規転換期には、ヨーロッパ文明の最先端をいく思想家・学者(フロイト、ヴィトゲンシュタイン、マッハ、経済学のヴィーン学派、ホーフマンスタールなどの文学者などなど)を生み出すほどに爛熟した帝国の中心にあった。オーストリア人は、こうした営為が自分たちの過去にあったことを誇りつつも、現在小さなポジションにいることも受け入れている。そして、ドイツが大国として過去を反省する優等生的ポジションで、正しいヴィジョンを示そうとするのに対して、端的に現実を見据える。
このような対比がドイツとオーストリアで成り立つ(詳しくは先ほどのパラダイスの記事を参照)
本作は、殺人者が結構説明してくれるので、「淡々」度はそこまでストイックに高くない。だが、実在の酷い事件に淡々と迫ろうとする姿勢は、いかにもオーストリアっぽいなあと思う。
パンフレットなど
2020年に作られたこの映画のパンフレットはとても充実している。監督のオフィシャルインタヴューも面白いし、日本でビデオソフト化した人が語る当時の状況が大変面白い。もし見つけたら是非手に入れてください。
日本で 映画が上映される際は、有名人を試写会に招待して、コメントをもらってそれで宣伝するという回路が出来上がっているらしい。パンフレットにもよく載っているが、この映画のパンフレットでは日本人のコメントは間に合わなかったのか載っていない。
本記事一番最初にあげたオフィシャル・サイトではこれが見られるが、評論家や映画ライターを除くと、石野卓球とでんぱ組の人以外は、名前も聞いたこともない人間しかコメントしていなかった(笑)。そういうタイプの映画なのであろう。石野卓球は4行で絶賛。
ともかく、見て損はない映画です。お近くでまだ上映していたら是非劇場へ。
内田樹にそそのかされて 『仁義なき戦い』シリーズ一気見
1 辺境ラジオを聞いて
作業のお供に何か聞こうと思って久々に「辺境ラジオ」を聞いた。
このポッドキャストページのチープな感じが和む作りだが、youtubeの方が自由に止めたりできて利用しやすい。
聞いたのは2020年1月の放送。正月に忠臣蔵をみたくなるという話から、内田樹が忠臣蔵の核にあるのが、大石内蔵助という「ゼロ記号」であるという議論を展開。何を考えているかわからない、内容としてはゼロの存在が、全体を展開させる中心にある構造(みたいな話)が特徴であるという。さらに『仁義なき戦い』も同じで、ここではゼロ記号は金子信雄演じる「山守」がゼロ記号。ほんまかいなと思いつつも、内田樹の議論はたまにものすごい自分に響くので騙されたと思って確認することにした。
と言っても内田樹の本はそんなに読んだことはなくて、『寝ながら読める構造主義』橋本治との対談本、『私家版ユダヤ論』くらいのような気がする。読んだ数は少ないが、『先生はえらい』の論理の明快さと腑に落ちる感じが自分としてはとても印象的でそれ以来一目置いている。この本は、本屋で立ち読みしだしたら止まらなくなって読破してしまった。
『仁義なき』のゼロ記号解釈は、結論から言うと、あんまり面白くない解釈だった。それで「仁義なき」の核心がわかるようなものではない。
野口整体の体癖論をポップにアレンジ。まあまあ面白くて、体癖論の本質を歪めているようでもない。
辺境ラジオは司会を務めるアナウンサーの西さんもしっかりしていて、名越が暴走キャラで勝手なことばかり言っているような程で進む。内田樹の方が西さんに尊重されているので、お説は内田ベースで進むが、名越の方が真っ当なときも結構多いような印象も。
2『 仁義なき戦い』シリーズ
内田樹の議論はさておき、話を聞いていてみたくなったので、『仁義なき戦い』シリーズをU-nextで見ることに。U-Nextは昔無料会員だった時に、毎日一本(以上)見ると決めて、結構みていた。最近「リトライキャンペーン」でまた1月無料ということで、これを利用して『仁義なき戦い』シリーズを見た(貧乏くさくて恐縮です)。
第1作だけはだいぶ昔に見ていたので、第2作目から。
シリーズ2作目 『仁義なき戦い 広島死闘編』
オススメ度4/5
Prime Videoでも見れる模様。
第2作『仁義なき戦い 広島死闘編』はスピンオフ的話で菅原文太はやや脇役。北大路欣也が主役で千葉真一が敵役。内田・名越の話で、名越氏が北大路欣也の若い頃がいいと力説していたが、確かに良い。シリーズを通してだが、親分ではなく鉄砲玉になる下っ端が死んでいくことへの同情と、戦争での兵士の死が重ねられていて、素朴に涙をそそる演出。葬式の場面での文太のキレっぷりも泣ける。
本作と次作で広能(菅原文太)と共闘する村岡組の若手幹部松永(成田三樹夫)がかっこいい。
シリーズ3作目 『仁義なき戦い 代理戦争』
オススメ度5/5 二度見るべし!
菅原文太は広島県呉市で、鉄くず、廃材などのスクラップでシノギを削っている。元親分で悪辣な山守は広島で大手を振るっていて、文太はこれまでのシリーズで煮え湯をのまされてきた。本作では、戦いの舞台が広がって、神戸の一流ヤクザが広島・呉へと乗り出してくる。
冒頭(終わりだったかも)、冷戦下での代理戦争についてわかりやすいくらいに語られ、映画では神戸の抗争の代理が広島・呉にて繰り広げられる。
登場人物が多くて、人物相関図を作りたくなる群像劇。劇場で一回見るだけだと把握できないだろう。細かいところまでよくできている。
実業ヤクザでヘタレだが野心のあるヤクザ打本(加藤武)が面白い。顔も演技もスネ夫系。場面場面で打本がどう動いていくかを追えると本作は大変面白い。
前作でもいい役で出ていた梅宮辰夫が神戸ヤクザ役で復活(本作ではマユゲがない)。頼りになる兄貴ヤクザ。
松永役の成田三樹夫、仁義に厚いが、背に腹はかえられない的な微妙な立ち位置を好演している。次作以降いなくなっていたのが残念。
小林旭演じる武田は次作以降に本領発揮。山城新伍はいいところがない役。
シリーズを通してだが田中邦衛演じる槇原はいいところがほとんどない。『北の国から』ファンとしてはやや悲しいが、いいところがない役を好演していて面白い。
本作もラストは葬式。2作目以降は、文太の見せ場は葬式か刑務所。
シリーズ4作目 『仁義なき戦い 頂上作戦』
オススメ度5/5 これもプライムビデオで見られる模様。
前作からの続きで、神戸の明石組と神和会の代理戦争がいよいよ本格化する。複雑になるのが、ここに警察が絡んでくる点である。タイトルにある「頂上作戦」は警察のヤクザ封じ作戦の名前で、高度成長の時代でヤクザと警察も今までのような形でのもたれ合いができなくなっている。シリーズ最大の大抗争が繰り広げられるとともに、警察のマークで思うように暴れられないもどかしさも描かれる。結局、金を持っている山守が警察とつながって強いという構図が世知辛い。
役者は大体前作と一緒だが、本作では崩れた山守組を立て直す若手トップの小林旭が大変かっこいい。暴れるのはもっぱら若手で、広能(菅原文太)や武田(小林旭)は、もうドンパチしないが、全体のことを考えてけじめをつけたり、話をつけたりしようとする広能・武田のやり取りは大変見ごたえがある。この二人も、仁義のみではなくて、割とずるい計算もないわけではないというところも描かれていて、死んだり寒い目を見るのは若い鉄砲玉ばかりというシリーズ全体のモティーフと響きあう。
小林旭はサングラスがめちゃめちゃ似合っていて、最近(2000年代以降)の吉川晃司のような雰囲気を感じた。
松方弘樹の属する組「義西会」が、仁義に厚い組なのだが、悲しいことになる。
組長が同窓会で撃たれるのと、松方の狂犬っぷりと病で咳をしている時のギャップが心の琴線に触れてしまう。
本作のラストは葬式ではなく刑務所。
元々は本作で完結という予定だったようで、オリジナルの脚本家は本作を最後に降板。
シリーズラスト『仁義なき戦い 完結編』
オススメ度4.5/5
ざっくりいうと広能がヤクザをやめるまでの顛末が描かれる。広能は刑務所にいる時間が長く、実質的内容は前作からのライバル役である武田(小林明)が組を政治結社「天政会」(右翼)に変えて、時代を生き延びようとする部分にある。
映画全体の実質的主役は再び北大路欣也。武田が刑務所に入っている間のトップを務める、組のホープ役。広島死闘編では鉄砲玉だったが、本作ではキリッとした凄みを持つ若手トップ役(身体も出来上がっている)。欲しいものは手に入れるタイプでありながら、仁義は通すところも残っていて、憎めない役。
小林旭は引き続きカッコいい。北大路欣也の背後に引くことで大物感を増している。前作に引き続き、終盤での菅原文太とのやりとりが見せ場。山守以外は、金満実業系ヤクザがいなくて、下衆なコミカルさは減少している。目立つのは北大路欣也と対立する宍戸錠、喧嘩したがりの松方弘樹(前作とはタイプが違うが濃いキャラ)あたり。群像劇としては前作、前々作よりは弱いような気がするが十分面白いので必見。
本作も実録物らしいが、これをみて右翼の成り立ちの一つはこういうものだったのかと妙に納得した。
その辺りも含めて色々と興味深く、北大路欣也と小林旭はかっこいいので面白いのだが、田中邦衛始めこれまでの主要人物も死んでいったりして全体に物悲しい(シリーズ全体がそうだが)。
第1作 『仁義なき戦い』
2作目から最後の5作目までを見ながら、例の「パァリアー」で始まるテーマ音楽が鳴るのを待っていたのだが、残念ながら一回も流れなかった。シリーズ通してあのフレーズが流れるのは第1作だけのようで、以後は最初を省いた後の部分が変奏されるのみである。これはちょっと残念だったが、内容的には無しでも全く問題なく面白かった。
とはいえ、やはりあれも聞きたいので、第1作も見てみた。
菅原文太が復員してまだ素朴だった頃から始まる。大きな抗争がないので、後ろの方を見てから見るとスケールは小さいが、仁義が通らない悲しさを伝える点ではストレートでグッとくる。音楽のインパクトもやはり大きい。ということでオススメ度5/5。
毎日一本寝不足になりながら見たが、見てよかったと思えるシリーズでした。
U-NextやAmazon-Primeで見られます。未見の方はぜひ。見た方もまた是非。
内田樹は各10回くらいは見ているとのこと。