メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

メナーデとは酒と狂乱の神ディオニュソスを崇める巫女のことです。本ブログではドイツ映画を中心に一人のメナーデ(男ですが)が映画について語ります。独断に満ちていますが、基本冷静です(たまにメナーデらしく狂乱)。まずは88本を目指していきます。最近は止まっていましたが、気が向いたときに書いております。

『パラサイト』ポン・ジュノ監督の怪獣映画『グエムル−−漢江の怪物』 ウイルスの宿主怪物(?)。『WXIII 機動警察パトレイバー』との比較も交えて。

最近『パラサイト』が話題のポン・ジュノ監督の2006年の大ヒット怪獣映画(韓国では1200万人以上を動員)。ウイルスものでもあるとの噂を聞き、今更ながら観てみた。

 

公開当時は2003年のアニメ、パトレイバーの映画版第三作『WXIII』の怪獣がパクられているのではということで多少論争になって盛り上がったらしい。

本記事では、補助線として『パトレイバー』の比較から『グエムル−−漢江の怪物』のテーマを考察。怪獣の出現状況、怪獣の出自、怪獣退治の主体を比較するとそれぞれの話の特徴が大体把握できる。

 

どちらの作品もネタバレあるので見た方だけどうぞ。あるいはバレても構わない方。

 

 

1『WXIII 機動警察パトレイバー』について。比較のために

機動警察パトレイバー』は1980年代後半から始まるアニメ、漫画シリーズ。

機動戦士ガンダム』以後のロボットアニメで、形状もまあまあ似ているが、宇宙ではなく、地球、それも日本で警察が利用するロボという設定。時代も昭和75年という設定で現代と地続き。

怪物が出てくるのは2003年のスピンオフ的映画『WXIII 機動警察パトレイバー』。パトレイバーパイロットたちではなく、別の課の刑事が主役。東京湾でのロボット破損事故などを追う中で怪物が出てくる。タイトルにある「WXIII」はウェイスティッド・サーティーン=廃棄物13号という名の怪物を指す。

 

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『WXIII パトレイバー』ストーリー展開

最初は地味な刑事もの風の捜査が展開して、怪物もはっきりでてこないかなり抑えめのつくり。テロや事故ではなく、生物なのでは・・・というのが見えてきたところで怪物がいきなり登場。でかい。アクションとしては、この怪物から刑事たちが逃げる場面が、前半のメイン。ここはスリリング。

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人間を追ってきて捕食する。全長20メートルくらい。

そのほかは捜査と推理がメインで、怪物だけを期待しているとけっこう退屈。「ニュータイプ」とか「人類補完計画」などの壮大な概念なしに、喪失感をかかえた人たちの人間ドラマが次第に展開する。若い刑事が捜査の過程で恋に落ちた女科学者が物語の鍵をにぎる。じつは彼女が怪物を培養していたことがわかっていく。夫を事故で、娘を小児がんで亡くした彼女は、娘のがん細胞を利用して生物培養をしており、これが怪物に育ったのだった。

 

怪物の出自、特徴

・怪物の造形は『グエムル』に確かに似ているが、雰囲気はけっこう違う。「廃棄物13号」の方は水棲のエイリアンのような感じ。科学者が娘の小児がん細胞を利用して育てた怪物には「胸」もついている。ピアノを弾いて音楽が好きだった娘と似て、音に反応して動く習性があるなど、科学者にとって明らかに娘の分身の意味をもっている。

・失った娘が重ねられていることもあり、退治されても悲しさが残る。科学者は「娘」とともに死んでいる。

 怪物の捜査、退治

・捜査は刑事がしっかりと行っている。最初二人だけの証言では上がとり合おうとしない場面もあるが、しっかりくらいついて証拠をあげながら捜査を軌道にのせる。20khz以上の音に反応していることに気づくなど、非常に優秀。退治は、パトレイバーが行う。

 

以上のように、或る悲しみとともに生み出された怪物が退治される話あとあじはせつない

怪物は、凶暴で恐ろしいが、「悲しみを餌に東京を食い破るほどに育つ」といった展開は感じさせない規模。

 

 

グエムル

怪物像の比較

怪獣の出自

・『グエムル』の怪獣はこんな感じ。フルCGで今みてもテカテカして不気味。ちなみに「グエムル」は韓国語で怪物の意味とのこと。

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全長15メートルくらい?エイリアンと恐竜を足して割った感じ。前の金髪が主人公。

こちらは、最初から出自が示唆され、映画の冒頭10分ほどで登場し大暴れする。怪物は、中韓米軍がホルマリンなどを漢江に不法廃棄したことによる突然変異で生まれた(不法廃棄は、実際に2000年に米軍がホルムアルデヒドを漢江に流出させたのが元ネタとのこと)。『グエムル』での怪物は、人間(米軍)のずさんさから生まれている。『パトレイバー』の怪物とは違って人間の意志は関わっていない。核実験によってゴジラが生まれたのとちょっと似ているが、少し深刻度は低く、「ずさんさ」が本作を読み解く鍵になるように思われる。以下、怪物の特徴と、ストーリー展開を「ずさんさ」に焦点をあててみていく。

 

怪物の行動、特徴

パトレイバー』では、怪物が音に反応することなど、行動原理が次第に明らかになっていくのに対して、『グエムル』では最後までとくに解明されていない。思わせぶりな特徴はいろいろある。

・人間に襲いかかってくるが、必ずしもすぐに捕食しない。連れ去ることもある。主人公の娘ヒョンソも尻尾で絡めとられて連れ去られる。

・連れ去った人間は下水溝に溜めている。大半は死んでいるが、ヒョンソともう一人の少年はここで生き延びた。

・怪物に立ち向かった米軍下士官の治療にあたった米軍の医療機関下士官からウイルスを検出する。怪物はウイルスの宿主と推測される。

→ ウイルス感染を警戒して軍や警察は撤退する

パトレイバー』では、怪物への恐怖は、あまり強調されなかったのに対し、『グエルム』では、怪物を起点に大規模な災害が展開する可能性が観客にも伝わる。

 

怪物への人間の対処

いろいろなずさんさ

パトレイバー』の方は、登場人物はプロの仕事をしていて、初歩的なミスはない。それに対して『グエムル』では、行動のずさんさが目立っている。

感染症対策のずさんさ:主人公は怪物の血を浴びているので感染の疑いありということで一応隔離されるのだが、この隔離が非常にずさんで、家族にも接触し、病院を脱出もする。

・主人公の行動のずさんさ:主人公は冒頭から店番中に居眠りしたりだらしなさが強調されている。娘ヒョンソの手をひいてにげるつもりが、別の子の手をつかんだ結果、ヒョンソは怪物に連れ去られる。

・これはずさんさなのか隠蔽なのか、曖昧なところではあるが、ウイルスは存在しなかったということが映画の後半で明らかになる。上述の米軍下士官が死ぬが、死因は手術のショックであってウイルスではなかった。他の被害者からもウイルスは見つからなかった。ウイルスの話は、端的に間違いだったということになる。

 ・ウイルスがなかったことによって、世界規模災害への展開のシナリオはなくなり、あくまで主人公とその娘の救出に主軸が置き直される。

 

娘を救うのは自分たちのみ だがここでもずさんな行動

・ヒョンソからの電話で、娘が生きていることを主人公は知るが、誰にも相手にしてもらえず、自力で助けに向かう。主人公の父、妹、弟である。家族そろって感染者として指名手配されており、その中での救出行動ということになる。

・ここでも行動がずさんで、携帯の発信場所を突き止めることから始めるべきが、闇雲に捜査している。その結果、父親が死ぬことになる。

・父親の死は、主人公が銃の弾数を数え間違えたことがきっかけになっている。ここでも行動の「ずさんさ」が悪い結果を導いた。

 

米軍の行動、主人公たちの行動

・米軍が介入をはじめ枯れ葉剤的な薬の散布でウイルスを死滅させようという作戦にでる。だが、上述したように、米軍の上層部ではウイルスがないことを把握しており、この作戦は不可解である。ウイルス対策と称した反米デモの鎮圧行動と考えればいいのかもしれない。

・ウイルスがなかったことは機密事項で、主人公はウイルス調査のために脳細胞を摂取される。これも本来必要のないずさんな処置である。弟の機転で娘ヒョンソの居場所をつかみ、主人公たちはそこへ向かう。

・怪物との最終対決では、飲み込まれていた娘ヒョンソと一緒にいた男の子を、怪物の体内から救い出すが、ヒョンソはすでに息絶えていた。復讐を果たすかのように、兄弟妹たちは怪物に立ち向かう。弟はデモ隊時代に習得した技術で火炎瓶をつくり、怪物に灯油をまいて投げようとするが、投げ損ねる。妹がしかし、アーチェリーの技術で火矢を放ち、怪物は炎に包まれる。川に逃げようとする怪物を主人公が押しとどめ、終に仕留めることに成功する。

ラスト

・主人公はヒョンソの最後の日々を知る元ホームレスの少年をひきとって二人で暮らしている。テレビでは事件の総括が流れているが、「つまらない」という少年の声に応じて、主人公はテレビを消す。

 

 

映画で対比されるもの 

個人のずさんさ、大きな集団のずさんさ

娘ヒョンソは、最初主人公の失態によって、怪物に連れ去られる。しかし、その後、仮に主人公の訴えに従って調査・捜索を行っていれば助かったかもしれない。ウイルスの宿主という誤った情報がなければ順調に捕獲がなされ、ヒョンソも救出されていたかもしれない。主人公と、在韓米軍、二つのずさんさによってヒョンソは死ぬことになっている。

この映画が、主人公のずさんさと米軍のずさんさのどちらを非難しているかといえば、明らかに米軍だろう。主人公たちの行動には多くのずさんさと失策があったが、最後には力を合わせて、それを埋め合わせようと行動している。一歩及ばなかったが、自分たちのできることをやり遂げている。

米軍の方は、最後のニュースでウイルス情報の誤りによる失策を認める形にはなっているが、責任をどうとったかは不明なまま終わる。そもそもの怪物誕生のきっかけも見ると、映画が米軍に批判的な立場から作られているのは間違いない。

個人の痛みと組織の損失

主人公たちは自分たちの失策ゆえに、大きな、埋めがたい喪失を経験するのに対して、米軍の方は一人の下士官を失ったとはいえ、その失策が招いた帰結はあくまで他人事、あるいは数字や書類上で処理される被害にとどまっている。カバー可能な被害である。

この映画は「反米」的としばしば理解されているが、メッセージはただ「反米」にあるよりも、他人事感覚でずさんなことをする集団・組織への批判にあるといった方がいいだろう。あるいは、主人公たちが体現するように、人は「間違い」を犯すが、力を合わせて挽回できる、というメッセージとも理解できる。

単純な娯楽怪獣映画とも見えるが、声高ではないにせよメッセージ性を感じさせるいい映画である。ウイルスの恐怖でも引っ張ることで緊張感をキープさせ、家族の結束の再生というモティーフで全編をつなぐことによって、まとまりのある2時間になっている。

 

怪物の正体

ちなみに怪物自体が何なのかは、最後まで説明されない。思わせぶりな行動も、とりあえず意味はなかったのだろう(続編への布石とも言えるが、怪物の謎で引っ張るなら続編は駄作になるだろう。『グエムル2』の企画が進んでいたようだが、止まっている模様である)。

怪物に関して明白なのは、それが人間のずさんさによって生み出され、それへの対応のずさんさゆえに多くの被害が生まれたことである。さしあたり『グエムル』第1作の範囲では、思わせぶりだったよりも大した怪物ではなかった。無限に再生・増殖することもウイルスを撒き散らすこともなく、3+αの人間によって焼き殺される。

怪獣がものすごいものかと思わせつつ、例えばゴジラに比べるとたいした恐怖ではなかったこの怪物映画、「ウイルスもの」かと思いきや、ウイルス自体は存在しないこの映画は、現在のコロナウイルスをめぐる事態にも微妙に示唆的である。

 

ポン・ジュノ監督は、『パラサイト』上映キャンペーンで来日時にコロナ・ウイルスにも言及したそうだが、ウイルスよりも人間の反応が怖いと言っていた。

「パラサイト」ポン・ジュノ監督、新型コロナウイルス過剰反応に警鐘「人間心理が作り出す不安や恐怖の方が大きい」:芸能・社会:中日スポーツ(CHUNICHI Web)

 

潜在しているかもしれないとはいえ、インフルエンザウイルスに比べれば圧倒的に不在といっていい「未知」のウイルス・・・。「グエムル」とは違って、この新型ウイルスは、それほど致死的ではないことはわかっている。油断は禁物とはいえ、(過剰)反応が引き起こす不安や騒動の方がある種怪物化しているというのは、ポン・ジュノが言う通りだと思われる。

 

どちらもU-Nextで観られます。