メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

メナーデとは酒と狂乱の神ディオニュソスを崇める巫女のことです。本ブログではドイツ映画を中心に一人のメナーデ(男ですが)が映画について語ります。独断に満ちていますが、基本冷静です(たまにメナーデらしく狂乱)。まずは88本を目指していきます。最近は止まっていましたが、気が向いたときに書いております。

3歳で成長を止めた子供が見る大人世界・・・『ブリキの太鼓』のエロ・グロ・ナンセンスと歴史の悲哀

ブリキの太鼓』(原題 „Die Blechtrommel“)は1979年の西ドイツ・フランス、ポーランドユーゴスラビア製作の映画。監督はフォルカー・シュレンドルフ。原作はノーベル賞作家ギュンター・グラス

 

ブリキの太鼓 -日本語吹替音声収録コレクターズ版- [Blu-ray]

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2020年2月現在U-Nextで視聴可能。

 

カンヌ映画祭パルム・ドール賞を獲った名作であるが、歴史的背景など多少知らないと、ピンとこないかもしれない映画である。多少知っているとのんびりと噛み締められるので、本記事では楽しむための基礎情報をまとめる。

 

奇抜な設定。

語り手オスカル・マツェラートは出産時にすでに意識明瞭で、胎内に戻ろうと思ったが、3歳になったら「ブリキの太鼓をプレゼントだ」との言葉に惹かれて生きてみようと思う。3歳になったオスカルは周りの大人たちの様子をみて、もう成長をやめようと決意し、自ら階段から転落する。成長をやめたオスカルは、ある種傍観者として周囲を眺める存在となる。いつまでも小さいままのオスカルからみた、マツェラート家の物語が語られる。時代はナチスの足音も響きだす1920年代、場所は、もとドイツだった自由市ダンツィヒである。

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オスカルは歴史の「観客」であることを選ぶ。映画より。

オスカルの語りも面白いが、原作を活かしたのだろう、人物たちの台詞は、八百屋の売り文句一つとってもなかなかシャレが効いていて面白い。

 

 

オスカルのもう一つの能力

オスカルはブリキの太鼓をいつも抱えて、ところかまわず打ち鳴らす。「成長しない能力」のスタンド使いとして、『ジョジョの奇妙な冒険』に出てきてもおかしくない。オスカルの能力はしかしこれだけではない。彼は、叫び声でガラスを破壊できるというもう一つの能力も持っている。彼が叫ぶと、シャンパングラスだろうが、ホルマリン漬けの爬虫類の瓶だろうが、街の窓だろうが、なぜかガラスが音を立てて割れていく。大友克洋の『アキラ』というよりも、『童夢』の感じである。ただし、基本的にギャグか、歴史の流れに挟み込まれるナンセンスの要素として使われる能力である。

 

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小学校に入学早々、オスカルは担任教師に反抗する。映画より。

 

のちには、オスカルはこれらの能力を活かして、「小人サーカス団」に入団もするが、これらは映画のテーマと密接に関わるとはいえ基本的にはギミックであり、映画の本筋はオスカルの家族の一代記である。

 

オスカルの出自−−−−カシュヴァイ系ドイツ人

映画を見るだけでもオスカルの出自については一応説明されているが、初見だと飲み込めないかもしれない。要点は次のようになる。

1899年、オスカルの祖母についての語りから映画は始まる。祖母が住んでいたのは、当時ドイツ帝国に属していたダンツィヒ(現在はポーランドグダニスク)である。ダンツィヒはもともとポーランド王国の一部であり、ドイツ人だけでなく多くのポーランド人が住んでいた。祖母は、ドイツ人でもポーランド人でもなくスラヴ系の少数民族カシュヴァイ人である(同じスラヴ系のポーランドの方が言語などは近い)。

カシュヴァイ人の祖母がドイツ人との間に生んだ子がオスカルの母アグネスである。アグネスは、ドイツ人アルフレート・マツェラートと結婚するが、同時に従兄のヤン(カシュヴァイ人)とも性交を続けていた。オスカルの父親についてはそれゆえはっきりしないが、いずれにせよ、カシュヴァイ系の血も入ったドイツ人として育つ。

 

ダンツィヒとマツェラート家

ダンツィヒは、1871年ドイツ帝国編入されたが、第一次大戦でドイツが敗北すると国際連盟管理下の自由市になった。ダンツィヒに対しては、大戦後にできたポーランドが影響力をふるったが、ポーランド人、ドイツ人、そしてカシュヴァイ人も並存する都市である。オスカルの父親アルフレート・マツェラートはドイツ系であり、ナチス党に共感し、入党する。街頭でもナチスの宣伝がなされている。

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1920年代のダンツィヒ。母アグネスとオスカルが歩いているシーン。

ナチスにはいろいろなイデオロギーが混在しているが、アルフレートが共感したのは、条約によって割譲された領土の奪還という目標だろう。具体的にはダンツィヒはドイツに再編入されるべきであると考えている。だが、アルフレートは日和見的な性格で信念はそれほど強くない。ポーランド寄りのヤンともとりたててぶつからずにうまくやるような柔軟さはもっている。妻の不貞にも寛容である。気持ちよく過ごせれば理屈や大義はどうでもいいタイプの人である。アルフレートは料理を振る舞うシーンが多い。

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ルフレート:ヤンの子を妊娠したアグネスに対しての台詞。

ダンツィヒと家族の趨勢

ルフレートがナチスにも関わらず、理屈には拘泥しないため、ポーランド寄りのヤンも含めた家族関係に民族的な不和は目立たない。

母アグネスは、ドイツ人の夫と、ポーランドびいきのカシュヴァイ人のヤンの間で揺れ、ユダヤ人の雑貨商マルクースにも言い寄られる。これらの間での葛藤とオスカルの異常をもとに精神を病んでいく。

ヤンもダンツィヒに居場所がなくなる。ドイツにナチス政権が樹立以降、ダンツィヒでも「来るべきドイツへの復帰」に向けてナチスの宣伝活動が激しくなる。第二次大戦のきっかけとなったポーランド侵攻を契機に、ダンツィヒナチス・ドイツに併合された。

しばらくはナチスの快進撃が続くが、「生存圏」の無謀な拡大のつけで、次第に敗色濃厚になっていく。オスカルはその様を見つつも、小人のサーカス団にスカウトされ軍の慰問を行う。

 

本筋より目立つエロ・グロ・ナンセンス

以上のような、一つの家族を通じた歴史叙事詩ともいうべき部分が映画の本筋であるが、オスカルの諸能力によるギミックと、それとも関連して演じられるエロ・グロ・ナンセンスシーンが目立つ映画である。

割合としてはエロ5グロ2ナンセンス3くらいだろうか。

・グロは主に魚にまつわるもので、見られないほどグロくはない。

・この映画でのエロはけっこう問題にもなった。オスカル役のダーヴィット・ベネントは当時11歳だが、彼がクンニリングスをすると思われる描写が北米を中心に問題視された。中国でも禁止。いずれにせよそれほど直接的な描写ではない(アグネスとヤンの不倫の方が直接的)

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父アルフレートと女中マリアの性交に乱入するオスカルの邪悪な顔つき。

 

ナンセンスの裏の悲しみ

以上のように、冗談なのか本気なのかわからない語り口で、歴史がつづられるのだが、原作者グラスと合わせて考えるといろいろな悲哀も感じられる作品である。

グラス自身もカシュヴァイ人の母をもちオスカルと重なる。彼はもちろん普通に成長したのだが、15歳で労働奉仕活動を行い、戦争末期には17歳でSS部隊に志願入隊している。この事実についてはグラスは2006年までは黙っていたが、おそらく「過ち」として考えていただろう(主観的にはどうあれ周囲から「黒歴史」として捉えられることは間違いない)。「間違った体制」に生まれたがゆえの荷担であるとはいえ、それなりに分別があってもおかしくはない年齢である。

グラスは子供ではあるが荷担した、という事実をオスカルの描写によって認めているように思われる。オスカルは子供の傍観者という立ち位置だが、ナチスの集会では共に太鼓を打ち鳴らし、時代の趨勢に付き添って行進していく。オスカルは大人になることはやめてはいるが、「大人のつくりだす歴史の愚かしさはわかっていた」というスタンスはとらない。傍観者にして太鼓叩きである。

オスカルがカエルと小便のスープを無理やり飲まされるシーンがあるが、グラス自身が飲ませるほうだったのか、飲まされる方だったのか、その辺は調べないとわからない。いずれにせよ、過去の罪とは無縁ではない作品である。同時にグラス自身の少年期の懐かしさもあるだろう。ナンセンスなシーンがときどき情感を動かすのは、そうした微妙さゆえだろう。

 

2時間越えで長いが、じっくり観るに価する映画である。

 

現在U-Next会員は無料で見られます。 

 

原作小説

 

ギュンターグラスはノーベル賞作家。ヒトラー・ユーゲントに入っていた過去があったことをはじめ、時局への様々な発言によって、スキャンダラス/センセーショナルな人物。一度きちんと読みたいと思いつつ、読んでいない。