メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

メナーデとは酒と狂乱の神ディオニュソスを崇める巫女のことです。本ブログではドイツ映画を中心に一人のメナーデ(男ですが)が映画について語ります。独断に満ちていますが、基本冷静です(たまにメナーデらしく狂乱)。まずは88本を目指していきます。最近は止まっていましたが、気が向いたときに書いております。

ドイツ映画『ピエロがお前を嘲笑う』 ハリウッドでリメイク予定。Netflix 『ダーク』監督バラン・ボー・オダーの出世作。未見の方は是非笑われてください。オススメ。

2014年ドイツ映画、『23年の沈黙』のバラン・ボー・オダー監督商業映画第二作目。

原題は„Who am I - Kein System ist sicher“(ワタシハダレ−−安全なシステムはない) 

邦題は劇中のセリフから。

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1 基本情報(ネタバレなし) 

オダー監督は1978年生まれの比較的若い監督でスイス出身、ドイツ育ち。ミュンヒェンの映画学校卒業後、『23年の沈黙』で注目され、本作が出世作。本作はドイツでヒットして各種映画賞を受賞。ワーナー・ブラザーズがリメイクの権利を買い取っている。未見の方はリメイクが出る前に是非ごらんください。以下、簡単に紹介します(ネタバレなし)。

映画の始まり

主人公のベンヤミン・エンゲルが捜査室のようなところで自白するシーンから始まる。観客は彼が何か事件を起こし、人が死に、彼が捕まったことを知らされる。ハッカーの彼は自らの生い立ちを、そして事件にいたる経緯を振り返っていく・・・

 

パッケージとタイトルからサイコ・スリラーっぽいものという印象を与えるかもしれないが、青春映画×クライム・トリック・サスペンスといった感じで、どちらからでも楽しめます。

話の構成は起承転結でいうと、起承転転転完といったつくり。

 

 

登場人物紹介 ハッカーチーム

本作ではハッカーが法やシステムの外の享楽に触れるものとして魅力的に描かれ、仲間にもまれて主人公が少しだけ変わったり変わらなったりする青春映画のノリとうまくマッチして見やすい。ベンヤミンたちはイタズラハッカーで、バカなことをして喜んでいる中坊的ハッカー。「キマリ」を破る純粋な享楽を観客も味わえます。「クソな社会」がつまらない方は素直に楽しいと思います。

 

主人公ベンヤミン:トム・シリング

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トム・シリングがハッカー役。映画より。

この人はマスクは甘いが背が低く、微妙にイケてない奴の役が目立つ。子役から活動しているが、出世作は2012年の『コーヒーをめぐる冒険』。本作のヒットでさらにスターに。ドイツではおそらく結構なスターで英米系の映画でもナチス役で出ています。やや黒歴史としては、若きナードなヒトラーを演じた『我が闘争』(作品がやや破綻しているが、若きヒトラーの「童貞感」を好演)。https://callmts.hatenablog.com/entry/2020/02/06/211541

本作でも、クラスの外れもの感が板についています。

 

『コーヒーをめぐる冒険』の主人公の演技はとてもナチュラル(書いて思ったが最近「ナチュラル」という形容詞を昔ほど見ない気がする)。

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フランス組曲』では嫌らしいドイツ人将校役で出演。

callmts.hatenablog.com

 

 

マックス:エリヤス・エンバレク

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左:マックス(エンバレク)、右:ベンヤミン(シリング)。映画より。

エンバレクはチュニジアオーストリア人。ドイツ映画ではトルコ系の役が多い(『ウェイヴ』など)。『くたばれゲーテ』では主演(ドイツでは大ヒットらしいが日本未公開(?)のため未見)。『はじめてのおもてなし』でもイケメン役で出ていたが、濃いめで頼もしい役が多い。本作ではいかにもヤンチャで明るいリーダーを好演。細かいことを気にしない気のいい不良で、主人公と違って「クール」。このマックスとベンヤミンのやりとりが前半の核。口癖は「ビンゴ」。途中から見えてくるやや繊細な部分も魅力。

2019年のドイツ映画『コリーニ事件』では主演。トルコ系の弁護士役を好演(映画後半は事件の方に焦点が当たって、エンバレクのキャラが深掘りされないのがエンバレクファンとしては残念だが、とてもいい映画)。原作はヨーロッパでベストセラー。

 エンバレク出演作『はじめてのおもてなし』 主演はかつて「オーストリアのセックス爆弾」と称されたセンタ・バーガー。

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 脇役だが、とても印象的な『ウェイヴ』での演技も注目。

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シュテファン:ヴォータン・ヴィルケ・メーリング

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ほぼ「肉体」の役。映画より。

メーリングはオダー監督の前作『23年の沈黙』では主演。繊細な建築家の役だったが、今回は対照的で頭はほぼ空っぽの肉体ギャグ担当のシュテファン役。マックスほど活躍の場はないがいい感じで画面にいる。特に裸踊りのシーン。スマパンのドラマー、ジミー・チェンバレンに似ている。

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『23年の沈黙』ではおバカ要素ゼロの役で好対照。

心理劇としては弱いが・・・音、構図、演技の素晴らしさは見る価値大! 『23年の沈黙』 バラン・ボー・オダー監督作品 - メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

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パウル:アントワーヌ・モノー・ジュニア

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パウルは一番左。いいキャラだが、残念ながら出番があまりない。

巨体に観念が宿っている理屈屋の役。やや見せ場が少ないが、マックスがナンパした後、部屋で女と一緒になった時にベンヤミンと固まるシーンが見せ場。意外に情が深い陰キャラ。陰キャラ観客には好感を持たれるのではないかと思われる。

 

前半は、青春活劇。後半は「転」また「転」の展開

この四人が前半大暴れする。学校や就職活動から無縁で年齢はけっこういっているがノリは中学生。ハッカー界のダースベイダーMRXに挑戦していく展開は少年漫画みたいなノリなので中高生でも楽しくみれる(はず)。また主人公ベンヤミンが暗いので、痛快・爽快青春ものが苦手でもみれる。物語に馴染んできたところで、転回、また転回そして転回という感じであっという間の97分。

 

後半のトリックは、けっこう騙されます。前半で「見たいものしか見てなかった」ことにもハッとさせられたり、なかなか面白いです。このあたりはトリック通の方が解説していたりするのでググってみてください。

トリックは懇切丁寧に説明はされないけれども、大枠は説明してくれて話が進むので取り残されることはないです。もう一回見て答え合わせしたくなる作品です。ということでみてない方は是非。ただし、答え合わせしだすと、モヤモヤする部分が残る(ネタバレして構わない方は監督インタヴュー以下を参照)。

 

2020年2月17日現在U-Nextで見れます(6月くらいまで)。 

  

豆知識

・ハッキングチーム・クレイの誕生のきっかけとなった右翼団体集会の妨害行動(党の選挙ビデオをすり替えてヒトラーを茶化すビデオを上映)で出てくる右翼団体ドイツ国民同盟NBD」はドイツのネオナチ政党NPD(ドイツ国家民主党)のパロディー。

ベンヤミンが恋するマリー役のハンナー・ヘルツシュプルングは1981年生まれ(撮影時33歳くらい)

・エンディングなどで流れる“out of the black“はイギリスのロック・デュオRoyal Bloodのデビューアルバムから。この曲は、同じくドイツ映画『50年後の僕たちは』(ファティ・アキン監督 2015年)でも使われるなど人気。ライブではメンバー二人のみで演奏。これも必見。 https://www.youtube.com/watch?v=RCKdhk7mi_4

精神科医の診察室にかかっている絵はルネ・マグリットの「複製禁止」

・監督バラン・ボー・オダー、脚本家ヤンチェ・フリーゼは夫婦らしい。オダーの劇場用長編第1作『23年の沈黙』でもフリーゼが脚本に加わっている。『ピエロがお前をあざ笑う』はドイツ映画賞脚本賞にもノミネート。二人はネットフリックスの連続ドラマ『ダーク』でも共同作業。

 

2 監督、脚本家インタヴュー記事紹介 ネタバレもあり

監督バラン・ボー・オダー、脚本家ヤンチェ・フリーゼへのインタヴュー(ドイツで一般公開直前に行われたインタヴューを大雑把に訳しています) 

,Who Am I‘—der singende, tanzende Abschaum der Onlinewelt

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上記サイトから、左:オダー監督、右:脚本フリーゼ

インタヴュー パート1 ネタバレなし ドイツ映画の中での本作、ハッカー映画としての工夫、俳優の取り組み

インタヴュアー: 退屈なコメディーや窮屈なアート映画の隙間を埋める作品とプレミア上映で紹介されていましたよね。(注:ドイツではアクション大作やSFなどはハリウッドものが中心で、ドイツ映画はコメディーやアート映画が多い。)

監督:自分的には、そういう前提では作っていないよ。何かを変えるとか救うとかいったことは正直考えていない。単にいい映画を作りたい。さっきの紹介文句は、プロデューサー的なものだ。いいコメディーはあるし、いいアート映画もある。ただドイツ映画には実際問題があって、その間にはあんまり多くのものがない。あった場合でも、例えば『凍てつく分身』がそうだが、観客が入らない。

フリーゼ:コメディー、アートのカテゴリーとは別のところで映画が作られたこと自体がいいことだと感じる。観客も集めるつもりで、違ったものを作る。私は、この映画を自分自身のためだけに作っていない。

[略]

インタヴュアー:最初にこの映画のアイデアが浮かんだのはいつ?

監督:制作会社から一年半前にハッカーについての映画を作ろうと考えていると電話をもらった。それまで考えたこともなかったが、調べているうちに「ソーシャルエンジニアリング」とそれをやる人々に行き当たった。正直いうとハッキング自体には興味は引かれなかったが、それを行う人間たちは、狂ったほど賢くて知性的だから、面白いと思った。

彼らはネット世界ではスーパースターだが、実生活ではおそらく社会的に不能なナード(オタク)。ただ外向的でクールにやっているのもいる。プロジェクトを通して、ハッカーのアドバイザーがいて、劇中のコードはすべて本物で正しくプログラミングされている。90年代の映画などだと、そのあたりの表現が弱いのも多い。この映画では少なくとも8割9割は本物にしたかった。

[略]実際のところ監督の仕事として一番重要だったのは、ハッキングを見て楽しいものに表現することだった。これまでの映画だと、出てくるのはラップトップの前に座っている人間で、映画的にはセクシーじゃない。コード入力を見ても、誰も理解できない。観客に一番単純な方法で映像化して見せることが一番大事だった。私の母が見ても「ああそう、これがフィッシングの原理ね」と言うと言うことが重要だった。この点に関してはいい反応が得られて嬉しいよ。[略]

インタヴュアー:世界での反応はどうでした?

フリーゼ:びっくりするくらい良かった。私たちはちょっと不安だった。と言うのは、セリフがとても多くて、国際版だと字幕になるから。観客が読みながら理解してついてこれるか、確信がなかった。トロント映画祭での初上映ではとても年配の観客もたくさんいたけど、完全に理解して、反応も良かった。とても良かった。

インタヴュアー:役者たちはどのくらい準備に集中していた?事前知識などはあった?

監督:トム(・シリング)は何も知らなかった。一年半前までコンピュータさえ持ってなかった。彼は、ソーシャルネットワークにかじりつくよりも、ギターを持ってどこかに座っているのを好むクラッシックな芸術俳優だ。彼はタイピングとコードの基礎クラスを受けてハッキングにも同席した。映画のハッキング・アドバイザーはポツダムの教授で彼の学生への質問の場を作ってくれた。トムはそこで質問をして、ハッカーがどう言ったタイプの人間なのか掴んだようだった。彼はものすごく集中して役作りをしていたよ。他の役者は・・・そこまででもないかと思う。

フリーゼ:彼らはそれぞれ違ったアプローチだった。アントニーパウル役)は、実際テクノロジー愛好者で詳しかった。ハッキングは彼の世界ね。トムは正反対で、まず最初にここに取り組まなきゃいけなかった。それぞれが、このテーマに対して取り組んで、自分のものにしていた。 

インタヴュー パート2 ここからネタバレあり 参照している別の映画 『ピエロ・・・』の解釈について 

ここからは『ピエロ』だけでなく、言及される別の映画のネタバレも含みます。(『ファイトクラブ』未見の方は注意)

 

インタヴュアー:最後の転換は別としても、映画の中では別の映画を暗示している箇所がはっきりとあります。あまりにわかりやすいので、ある点から、意図的にこのようにはっきりとほのめかされているのかと思いました。
 
フリーゼ:フィルム全体は唯一無二の魔法のようなトリックになっているの。原理的に重要なのは、最終的にベンヤミンが得るものを手に入れるために、彼がトリックを使うということ。彼が最後に行うのは、ソーシャルエンジニアリングで、彼の語りのバズルのピースは捜査官の頭の中で組み立てられるプロセスとしてあるの。そしてすべてが機能するために、原理的に彼の物語を伝える基盤となりるのは『ファイトクラブ』なの。我々も全く同じようにこれを利用したの。だから、ほのめかしは意識的なものよ。プロットのひねりを準備することが我々にとっては重要で、ベンヤミンが語ったことが、実際そのように起こったことなのかどうかを、結局我々は知ることはないの。私たちは、捜査官が信じたように、彼を信じることでしょう。ただし、マックスとベンヤミンが実際にあのような形で知り合ったのかどうかはわからない。結局のところ、我々は本当に知っていることは何もないの。我々には何が真実で何がそうでないかはわからない。原則として、ベンヤミンが、捜査官と観客に餌として与えているのは、小さなファイトクラブ的な出来事です。
 
オダー:私の頭の中にいつもあったのは、ベンヤミンには、多重人格障害を患ってそのために自殺した母親がいたということ。そして、彼が偉大なる『ファイトクラブ』ファンだということ。この人物造形については、トムと繰り返し話したよ。これは一方では母が多重人格障害という彼のバックグラウンドからくることだけど、彼が『ファイト・クラブ』をすごい映画だって思ってるところから来ている。この二つのコンビネーションが、初めて、ソーシャルエンジニアリング・トリックを導きだすんだ。ひょっとすると、このことが話題になるかもしれないと考慮はしたけど、宣伝になるだろうと思ったよ。偉大な手本があるってことは、僕としては、威厳となることだ。その時重要になるのは、「近くに来なよ、魔法のトリックを見せてやるよ」というセリフと、観客がラストで映画全体がトリックかどうかチェックするということなんだ。
 
インタヴュアー:観客の大部分がこのひねりすべてとほのめかしを理解すると思う?
 
フリーゼ:私が思うに、いい映画の要素は、映画が多くの次元で機能すること、そして、様々な人々に対して効果を与えることにある。『ファイトクラブ』をまだ見ていない場合でも、この映画は楽しめる。『ファイトクラブ』との関連に気づいた観客は、劇中の捜査官の一歩先に立って見ている。この映画がこうした幾重もの知的地平で機能することを願うわ。
 
オダー:一番多い意見は「いいね」なんだけど、二重のひねりはやりすぎという人もいる。だけどトリックがある場合はそういうもんで、トリックがどう機能しているかわかってしまったら、大抵がっかりするだろ。僕をドキドキさせるのは、やっぱりトリックなんだ。一番好きなシーンは捜査官がベンヤミンのトリックに引っかかるところなんだ。彼は一番初めから、「すべてのディティールが重要なんだ。よく注意して」「人はただ見たいものだけを見る」と言っていたにも関わらず、観客にも同じことが起こる。僕の解釈だと、ハッカーチームは最後まで存在しない。マリー役のハナー・ヘルツシュプルングは、ハッカー連中と出会っていないという風に演出したんだ。彼女は彼らを見ていない。他の人にとっては、これは全く明白なソーシャル・エンジニアリング・事象で、ハッカー・グループは存在している。
 
インタヴュアー:ハナー(マリー)がマックスにキスするシーンは、タイラーがマラーとセックスするシーン(『ファイト・クラブ』)と対になっているんですね?
 
オダー:まさにそう。
 
フリーゼ:そこは自由に解釈できるところね。自分自身が見たものに基づいて、そのことを議論できるっていうのもいいところね。自分がどんなタイプの人間かが重要になるし。
 
オダー:僕は、100パーセントかっちりした筋を持たないでオープンな解釈を許容する映画が単純に好きだ。例えば『シャイニング』に関しては、本当に起こった出来事は一体なんなのかについて、論争できる。ジャック・ニコルソンは、ラストで写真に写っているのが見えるけど、だから彼は1920年にもうこのホテルにいたことになるのか? 監督として、映画に対する姿勢を反映するものが『ピエロがお前を嘲笑う』にあるよ。
 
インタヴュアー:どんなものか教えてもらえる?
 
オダー:ベンヤミンが車の中でトリックを説明して、砂糖を置く時、背景にピエロのマスクをつけた誰かが写っている。本来そこに映っていないはずなのに。そのことで、僕が示したかったのは、ベンヤミンは分裂症のままでいて、そこにはいない人物たちを生み出しているということなんだ。
 
インタヴュアー:インタヴューどうもありがとう。
 

インタヴューも踏まえて補足

初見時は『ファイトクラブ』を見ていなかったので、映画中のファイトクラブティーフには全く気づかなかったが、端的にトリックに引っかかれてよかったかもしれない。フリーゼが言っているように、元ネタを知らなくても楽しめる作品である。
 
ファイトクラブも見たが、これもすごい映画だった。二重人格モティーフが大胆に使われていて、クソな社会の価値観をぶっ壊したい衝動がブラッド・ピットになって現れている。もし見ていたら多重人格トリックには捜査官より早く気付いたかもしれない。
 
夢か現実かを彷徨う時の狂気はドイツ映画ではあまり見ないような気がしする。アメリカ映画だとパッと思いつくのでも、ファイトクラブの他、キューブリックの『アイズワイドシャット』や『アメリカン・サイコ』など、かなり強烈。
 
マックスとマリーのキスがタイラーとマラーのセックスと対になっている云々について補足。タイラー(ブラッド・ピット)はファイトクラブで主人公である語り手のもう一人の人格で実在しない。主人公は、タイラーとマラーが上の階で激しくセックスをするのに閉口していたが、実はタイラー人格の時の自分がマラーとセックスしていた。マラーは実在。『ピエロ』の中でもマリーは捜査官に事情聴取されるなど実在しているのが確実だが、マックスたちはその辺りが微妙。映画中盤でベンヤミンがマリーとマックスのキスを見て嫉妬でマックスとケンカになるが、ベンヤミンが実際多重人格者だとすると、マックスは彼の別人格。キスの出来事は捜査官に語った「妄想」なのか実際あったのかは映画では確定しない。
 
映画を最初見たときは、多重人格はトリックで、実際はみんないたという解釈で見ていたが、オダー監督は、最後のシーンでもマックスたちは妄想(マリーも?)という解釈の余地も残している様子。その線も含めて、もう一度見て、以下にメモしてます。まだモヤモヤ。
 

参考作品  

Fight Club (字幕版)
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  • メディア: Prime Video
 

 ファイトクラブの主人公(ブラッド・ピットじゃない方)のエドワード・ノートンはトム・シリングと顔も雰囲気も割と似たタイプです。

シャイニング (字幕版)
シャイニング (字幕版)
  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

オダー監督が言及していたシャイニング。古典。  どちらもアマゾンプライムビデオで見られます。 ネットフリックスの『ダーク』は未見。近々見たいと思います。すでに触れましたが、オダー・フリーゼの長編第1作『23年の沈黙』もかなりオススメです。『ピエロ』とだいぶ雰囲気は違って、静かな闇が迫ってきます。予告編(英字幕付き)。www.youtube.com 

インタヴューも踏まえて見直し

映画で重要なのは「ソーシャル・エンジニアリング」の手法

「ソーシャル・エンジニアリング」は、ウィルスなどによるコンピュータのハードウェア攻撃などにはよらずに、実際の社会的場面でパスワードや暗証番号を盗んだりすることを指す。心理操作のみで、人の行動をコントロールして、望みを達成することと言える。

 

映画では次の場面が該当

・ドーナツ屋でのたかり

・連邦情報局員の犬好きという特性を利用して、パスワードを盗む。

・学食で財布をなくしたと言って侵入

どちらも、相手の心理上の隙に堂々と演技してつけ込むスタイル。

・捜査官の心理につけ込む(同時に観客の心理にもつけ込む(?) )

 

一番最後の心理戦が、観客である我々も絡んできて難しい。

・捜査官に、ベンヤミンが多重人格だと思わせるソーシャル・エンジニアリング

・この多重人格ソーシャル・エンジニアリングが筋が通っているように観客に思わせるというソーシャル・エンジニアリング

が並行しているのではないかと思われるが、未消化。以下興味のある方向け メモ列挙

 

スッキリとした解釈があれば是非お教えください。

 

整理① 映画の中で確実に実際に起こっていること(現実的な記録が残っているだろうこと)
ここにはベンヤミンが言っているだけではなく、捜査官が出来事の記録や人物の実在を確認できることのみが記される。捜査官が一緒にいるシーン、捜査官視点でのシーン。
ベンヤミンには痴呆の祖母がいる。母は人格障害があって医者にかかっていた。
ベンヤミンはマリーが通う大学のサーバに侵入しようとして捕まっている。
・右翼政党NBDの集会への妨害行動やSNS乗っ取りなどがCLAYの名で行われた
・連坊情報局への侵入が行われ「安全なシステムはない」という宣言がなされた。監視映像は消されているので、誰が実際に侵入したのかはわからない。この侵入の後、ハッカー「クリプトン」が死体で発見され、連邦情報局から盗まれたデータが死体とともに発見される。
・„Who am I“(映像ではベンヤミンたち) がMRXとコンタクトを取ろうとした。これを連邦情報局が追って、ベルリン州立図書館にいると突き止めて捕まえようとする。捜査官はピエロの仮面姿の者を見つけるが、逃げられる。(Who am Iはベンヤミンの証言ではClayチームだが、実際にそうなのかは疑問の余地あり)
ベンヤミンがユーロポールへの侵入後にMRXに晒されて捕まる。
ベンヤミンはMRXの情報と引き換えに証人保護を得ようとする、MRXを罠にかけて、MRXことショーン・ダナムを逮捕させる。
ベンヤミンは捜査官と話す中で自分が捜査官に多重人格障害と思わせる。多重人格障害の場合、証人としての資格がなくなり証人保護もないが、捜査官は見逃す。証人保護が適用される。
 
 
整理② 最後のシーン 
マリー、マックス、シュテファン、パウルとともに、ベンヤミンが船の上にいる。このシーンが現実化どうか不明だが、観客としては本当と考えた方がスッキリするシーン。現実ではない場合は、捜査官(および観客)の頭の中で展開される、多重人格と思わせておいて、別人格の証拠を消して逃亡したというストーリー
 
・多重人格と思わせて、マックスらは実在しないと捜査官に思わせている。チームCLAYはベンヤミン一人と思わせている。
・そう思わせるためにマックスたちと一緒に釘で右手を打ち抜いた。
・だが、マックスたちが実在で多重人格ということが嘘。
・捜査官はこの嘘に気づいているが、見逃した。
 
最後のシーンのストーリーが本当と考えるとお話としてはしっくりくるようにも思われる。
ただし、多重人格障害者は(証人として不適であるために)証人保護の適用外になる可能性があるということに気づいていたとすると、捜査官が端的に証人保護を適用しないだけの可能性もある。そのリスクを受け入れつつ、ベンヤミンが多重人格トリックをもとに捜査官の同情と証人保護を得ようとするのは、かなりリスキーではないか?
 
捜査官の心に入り込んで、多重人格だろうが、そうでなかろうが、逃しても問題ないし逃がしてやろうと思わせればよいというのがソーシャル・エンジニアリング的戦略で、ベンヤミンたちがこれを行ったという風に見るとスッキリするかもしれない。
釘の傷の話は、信ぴょう性を持たせるためにやったこと? 観客としてはマックスが怪我をするシーンを見ているので、それに合わせてベンヤミンも傷を作ったという風に見えるが、捜査官はマックスの傷を見ていないので、本来不要な作業。それも込みで傷をつけた? あるいは元々傷があって、それをそういう話にした? など、いろいろ妄想的解釈は可能。
 
こういうことをいろいろ考えだすと可能性はいろいろあるが、ベンヤミンが繰り返し言うように「人は自分が見たいものを見る」。観客も細かい点で引っかかる点を残しながら、ベンヤミンが最後に「トリックはもうおしまい」と言ってウインクするのを見ると、多重人格トリックでマックスたちの存在を透明にしたと言うストーリーを信じる。これが一番のソーシャルエンジニアリング(?)。
 
いろいろ考えるが、証人保護の話が絡むあたりから消化不良。監督らのインタヴューからすると、上のように観客の心理操作で見せる映画というのが真っ当な解釈かと思うが、心理操作を超えた唯一つの真実の解釈が成り立たないのがモヤモヤを残す。 
整理③ マリー関連シーン検討
もう一度見返して、マリーとマックスに関してチェック 基本的にベンヤミンが捜査官に語っていることの映像化。原則として事実かどうかわからない。
・スーパーマーケットでは最初、マックスとマリーは接触しないが、ベンヤミンはその後、マックスとマリーが楽しく談笑しているのを見ている。ただし、これはベンヤミンの妄想あるいはベンヤミンが談笑という解釈の可能性を残している。というのは、基本的に捜査官との接触がない人物に関しては、ベンヤミンが語っているだけで実在しないという可能性が残り続けるから。
・連邦情報局への侵入が成功した後、クラブでマックスとマリーがキスをしているのをベンヤミンが見る。翌朝喧嘩になる。
・喧嘩の後、ボロボロになったベンヤミンのところにマリーが訪ねてくる。ベンヤミンが「マックスに会いに来たのか」と聞くとマリーは「マックス?」と怪訝な表情。
・MRX接触失敗後にマリーのことをマックスが謝る。マックスがハッカーとしてはただの「中坊」でハッタリのみだということを自白。全て妄想の可能性もあり。
・マックスたちが殺された後でベンヤミンはマリーにあって一緒に逃げようと話す(というベンヤミンの話)。
・捜査官がマリーにベンヤミンの写真を見て、知っているかを聞く。マリーはベンヤミンにはあっていないと否定。演技っぽいが、実際にそうなのかもしれない(両方解釈可能)。
 
整理④ 多重人格演出
・祖父が戦争から持ち帰った三つの薬莢(死んだ友人の形見) → マックス、パウル、シュテファンの形見
・透明人間としてのベンヤミン 透明なのでどんな人間にもなれる
ベンヤミンの手には釘の傷がある。捜査官に対して、マックスが釘で手に怪我をしたと伝えている。
・マリーはあっていないと証言
・捜査官がベンヤミンの母のかかりつけ医と話す。彼の母が人格障害だったことを医者に告げられる。マグリットの絵が医者の部屋にかかっている。
・捜査官が気づいたのに対して、「母とは違う」と否定し、反対に人格障害を印象付ける。
 
 『 ファイト・クラブ』を連想させる箇所

 折角なのでもう一度見て、『ファイト・クラブ』の連想箇所を列挙。

 

ベンヤミンとマックスの対比、正反対のキャラクターという設定が類似

・マックスがタイラー(ブラッド・ピット)のように既存の価値や普通の人間が従っているルールとは違うものを実地で示す。

・マックスがMRXのハッカーの掟を言う言い方が、タイラーのファイトクラブのルールの言い方を思わせる。

ファイトクラブでは商品社会や労働環境には得られない興奮と生きている感覚が「ファイトクラブ」でダークネットと夜の活動で、クソな社会にはない「楽しみ」「興奮」を示す

・捜査官がベンヤミンの部屋を訪れると、部屋にはファイトクラブのポスターが。

 

違い

ファイトクラブでは主人公とタイラーのタッグだが、『ピエロ』ではマックスが中心とは言え、ハッカーチームが仲間。それに伴って、ベンヤミンは二重人格ではなく多重人格という設定になる。

ファイトクラブではタイラーの魂胆がよくわからないために、悪夢的印象が強くなってくるのに対し、ピエロはマックスの謎要素は薄く、全体的にスッキリしている。

・『ファイトクラブ』ではタイラー以上の大物が出てこないのに対し、『ピエロ』ではMRXというダークネットのカリスマが出てくる。

・『ピエロ』では本体人格のベンヤミンがマリーを好きなのに対して、『ファイトクラブ』では主人公はマラーには基本的に興味なし。

 

・・・

 

以上色々検討の余地があるとはいえ、ファイトクラブ云々は多重人格トリックの暗示としては重要だが、この映画自体の解釈にはそれほど重要ではない、と思われる。

 

『ピエロ』は多重人格をトリックとして用いつつ、実際に多重人格でないのかどうかに関して微妙な疑いを残すところに特徴。『ファイトクラブ』は明確に二重人格。

 

まとめ

インタヴューも踏まえて、一貫した解釈をなんとかしようとしましたが、ギリギリのところでモヤモヤが残るままに。監督が言うように、解釈の余地をオープンにしてあると言うことなんでしょうが、個人的には「この映画はこう」と言い切りたい気持ちが残ります。

このあたりは、前作『23年の沈黙』での心理劇としてはモヤモヤが残る感じと繋がるような印象。『23年・・・』と違って、『ピエロ』はとりあえず、見たいように見ておくと、最後の爆音テーマ曲とともに気持ちいい感じで終わるので、それでオッケーかも。

 

いずれにせよ、どちらも一見の価値あり。