ドイツ映画『ピエロがお前を嘲笑う』 ハリウッドでリメイク予定。Netflix 『ダーク』監督バラン・ボー・オダーの出世作。未見の方は是非笑われてください。オススメ。
2014年ドイツ映画、『23年の沈黙』のバラン・ボー・オダー監督商業映画第二作目。
原題は„Who am I - Kein System ist sicher“(ワタシハダレ−−安全なシステムはない)
邦題は劇中のセリフから。
1 基本情報(ネタバレなし)
オダー監督は1978年生まれの比較的若い監督でスイス出身、ドイツ育ち。ミュンヒェンの映画学校卒業後、『23年の沈黙』で注目され、本作が出世作。本作はドイツでヒットして各種映画賞を受賞。ワーナー・ブラザーズがリメイクの権利を買い取っている。未見の方はリメイクが出る前に是非ごらんください。以下、簡単に紹介します(ネタバレなし)。
映画の始まり
主人公のベンヤミン・エンゲルが捜査室のようなところで自白するシーンから始まる。観客は彼が何か事件を起こし、人が死に、彼が捕まったことを知らされる。ハッカーの彼は自らの生い立ちを、そして事件にいたる経緯を振り返っていく・・・
パッケージとタイトルからサイコ・スリラーっぽいものという印象を与えるかもしれないが、青春映画×クライム・トリック・サスペンスといった感じで、どちらからでも楽しめます。
話の構成は起承転結でいうと、起承転転転完といったつくり。
登場人物紹介 ハッカーチーム
本作ではハッカーが法やシステムの外の享楽に触れるものとして魅力的に描かれ、仲間にもまれて主人公が少しだけ変わったり変わらなったりする青春映画のノリとうまくマッチして見やすい。ベンヤミンたちはイタズラハッカーで、バカなことをして喜んでいる中坊的ハッカー。「キマリ」を破る純粋な享楽を観客も味わえます。「クソな社会」がつまらない方は素直に楽しいと思います。
主人公ベンヤミン:トム・シリング
この人はマスクは甘いが背が低く、微妙にイケてない奴の役が目立つ。子役から活動しているが、出世作は2012年の『コーヒーをめぐる冒険』。本作のヒットでさらにスターに。ドイツではおそらく結構なスターで英米系の映画でもナチス役で出ています。やや黒歴史としては、若きナードなヒトラーを演じた『我が闘争』(作品がやや破綻しているが、若きヒトラーの「童貞感」を好演)。https://callmts.hatenablog.com/entry/2020/02/06/211541
本作でも、クラスの外れもの感が板についています。
『コーヒーをめぐる冒険』の主人公の演技はとてもナチュラル(書いて思ったが最近「ナチュラル」という形容詞を昔ほど見ない気がする)。
『フランス組曲』では嫌らしいドイツ人将校役で出演。
マックス:エリヤス・エンバレク
エンバレクはチュニジア系オーストリア人。ドイツ映画ではトルコ系の役が多い(『ウェイヴ』など)。『くたばれゲーテ』では主演(ドイツでは大ヒットらしいが日本未公開(?)のため未見)。『はじめてのおもてなし』でもイケメン役で出ていたが、濃いめで頼もしい役が多い。本作ではいかにもヤンチャで明るいリーダーを好演。細かいことを気にしない気のいい不良で、主人公と違って「クール」。このマックスとベンヤミンのやりとりが前半の核。口癖は「ビンゴ」。途中から見えてくるやや繊細な部分も魅力。
2019年のドイツ映画『コリーニ事件』では主演。トルコ系の弁護士役を好演(映画後半は事件の方に焦点が当たって、エンバレクのキャラが深掘りされないのがエンバレクファンとしては残念だが、とてもいい映画)。原作はヨーロッパでベストセラー。
エンバレク出演作『はじめてのおもてなし』 主演はかつて「オーストリアのセックス爆弾」と称されたセンタ・バーガー。
脇役だが、とても印象的な『ウェイヴ』での演技も注目。
シュテファン:ヴォータン・ヴィルケ・メーリング
メーリングはオダー監督の前作『23年の沈黙』では主演。繊細な建築家の役だったが、今回は対照的で頭はほぼ空っぽの肉体ギャグ担当のシュテファン役。マックスほど活躍の場はないがいい感じで画面にいる。特に裸踊りのシーン。スマパンのドラマー、ジミー・チェンバレンに似ている。
心理劇としては弱いが・・・音、構図、演技の素晴らしさは見る価値大! 『23年の沈黙』 バラン・ボー・オダー監督作品 - メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼
パウル:アントワーヌ・モノー・ジュニア
巨体に観念が宿っている理屈屋の役。やや見せ場が少ないが、マックスがナンパした後、部屋で女と一緒になった時にベンヤミンと固まるシーンが見せ場。意外に情が深い陰キャラ。陰キャラ観客には好感を持たれるのではないかと思われる。
前半は、青春活劇。後半は「転」また「転」の展開
この四人が前半大暴れする。学校や就職活動から無縁で年齢はけっこういっているがノリは中学生。ハッカー界のダースベイダーMRXに挑戦していく展開は少年漫画みたいなノリなので中高生でも楽しくみれる(はず)。また主人公ベンヤミンが暗いので、痛快・爽快青春ものが苦手でもみれる。物語に馴染んできたところで、転回、また転回そして転回という感じであっという間の97分。
後半のトリックは、けっこう騙されます。前半で「見たいものしか見てなかった」ことにもハッとさせられたり、なかなか面白いです。このあたりはトリック通の方が解説していたりするのでググってみてください。
トリックは懇切丁寧に説明はされないけれども、大枠は説明してくれて話が進むので取り残されることはないです。もう一回見て答え合わせしたくなる作品です。ということでみてない方は是非。ただし、答え合わせしだすと、モヤモヤする部分が残る(ネタバレして構わない方は監督インタヴュー以下を参照)。
2020年2月17日現在U-Nextで見れます(6月くらいまで)。
豆知識
・ハッキングチーム・クレイの誕生のきっかけとなった右翼団体集会の妨害行動(党の選挙ビデオをすり替えてヒトラーを茶化すビデオを上映)で出てくる右翼団体「ドイツ国民同盟NBD」はドイツのネオナチ政党NPD(ドイツ国家民主党)のパロディー。
・ベンヤミンが恋するマリー役のハンナー・ヘルツシュプルングは1981年生まれ(撮影時33歳くらい)
・エンディングなどで流れる“out of the black“はイギリスのロック・デュオRoyal Bloodのデビューアルバムから。この曲は、同じくドイツ映画『50年後の僕たちは』(ファティ・アキン監督 2015年)でも使われるなど人気。ライブではメンバー二人のみで演奏。これも必見。 https://www.youtube.com/watch?v=RCKdhk7mi_4
・精神科医の診察室にかかっている絵はルネ・マグリットの「複製禁止」
・監督バラン・ボー・オダー、脚本家ヤンチェ・フリーゼは夫婦らしい。オダーの劇場用長編第1作『23年の沈黙』でもフリーゼが脚本に加わっている。『ピエロがお前をあざ笑う』はドイツ映画賞脚本賞にもノミネート。二人はネットフリックスの連続ドラマ『ダーク』でも共同作業。
2 監督、脚本家インタヴュー記事紹介 ネタバレもあり
監督バラン・ボー・オダー、脚本家ヤンチェ・フリーゼへのインタヴュー(ドイツで一般公開直前に行われたインタヴューを大雑把に訳しています)
,Who Am I‘—der singende, tanzende Abschaum der Onlinewelt
インタヴュー パート1 ネタバレなし ドイツ映画の中での本作、ハッカー映画としての工夫、俳優の取り組み
インタヴュアー: 退屈なコメディーや窮屈なアート映画の隙間を埋める作品とプレミア上映で紹介されていましたよね。(注:ドイツではアクション大作やSFなどはハリウッドものが中心で、ドイツ映画はコメディーやアート映画が多い。)
監督:自分的には、そういう前提では作っていないよ。何かを変えるとか救うとかいったことは正直考えていない。単にいい映画を作りたい。さっきの紹介文句は、プロデューサー的なものだ。いいコメディーはあるし、いいアート映画もある。ただドイツ映画には実際問題があって、その間にはあんまり多くのものがない。あった場合でも、例えば『凍てつく分身』がそうだが、観客が入らない。
フリーゼ:コメディー、アートのカテゴリーとは別のところで映画が作られたこと自体がいいことだと感じる。観客も集めるつもりで、違ったものを作る。私は、この映画を自分自身のためだけに作っていない。
[略]
インタヴュアー:最初にこの映画のアイデアが浮かんだのはいつ?
監督:制作会社から一年半前にハッカーについての映画を作ろうと考えていると電話をもらった。それまで考えたこともなかったが、調べているうちに「ソーシャルエンジニアリング」とそれをやる人々に行き当たった。正直いうとハッキング自体には興味は引かれなかったが、それを行う人間たちは、狂ったほど賢くて知性的だから、面白いと思った。
彼らはネット世界ではスーパースターだが、実生活ではおそらく社会的に不能なナード(オタク)。ただ外向的でクールにやっているのもいる。プロジェクトを通して、ハッカーのアドバイザーがいて、劇中のコードはすべて本物で正しくプログラミングされている。90年代の映画などだと、そのあたりの表現が弱いのも多い。この映画では少なくとも8割9割は本物にしたかった。
[略]実際のところ監督の仕事として一番重要だったのは、ハッキングを見て楽しいものに表現することだった。これまでの映画だと、出てくるのはラップトップの前に座っている人間で、映画的にはセクシーじゃない。コード入力を見ても、誰も理解できない。観客に一番単純な方法で映像化して見せることが一番大事だった。私の母が見ても「ああそう、これがフィッシングの原理ね」と言うと言うことが重要だった。この点に関してはいい反応が得られて嬉しいよ。[略]
インタヴュアー:世界での反応はどうでした?
フリーゼ:びっくりするくらい良かった。私たちはちょっと不安だった。と言うのは、セリフがとても多くて、国際版だと字幕になるから。観客が読みながら理解してついてこれるか、確信がなかった。トロント映画祭での初上映ではとても年配の観客もたくさんいたけど、完全に理解して、反応も良かった。とても良かった。
インタヴュアー:役者たちはどのくらい準備に集中していた?事前知識などはあった?
監督:トム(・シリング)は何も知らなかった。一年半前までコンピュータさえ持ってなかった。彼は、ソーシャルネットワークにかじりつくよりも、ギターを持ってどこかに座っているのを好むクラッシックな芸術俳優だ。彼はタイピングとコードの基礎クラスを受けてハッキングにも同席した。映画のハッキング・アドバイザーはポツダムの教授で彼の学生への質問の場を作ってくれた。トムはそこで質問をして、ハッカーがどう言ったタイプの人間なのか掴んだようだった。彼はものすごく集中して役作りをしていたよ。他の役者は・・・そこまででもないかと思う。
フリーゼ:彼らはそれぞれ違ったアプローチだった。アントニー(パウル役)は、実際テクノロジー愛好者で詳しかった。ハッキングは彼の世界ね。トムは正反対で、まず最初にここに取り組まなきゃいけなかった。それぞれが、このテーマに対して取り組んで、自分のものにしていた。
インタヴュー パート2 ここからネタバレあり 参照している別の映画 『ピエロ・・・』の解釈について
ここからは『ピエロ』だけでなく、言及される別の映画のネタバレも含みます。(『ファイトクラブ』未見の方は注意)
インタヴューも踏まえて補足
参考作品
ファイトクラブの主人公(ブラッド・ピットじゃない方)のエドワード・ノートンはトム・シリングと顔も雰囲気も割と似たタイプです。
オダー監督が言及していたシャイニング。古典。 どちらもアマゾンプライムビデオで見られます。 ネットフリックスの『ダーク』は未見。近々見たいと思います。すでに触れましたが、オダー・フリーゼの長編第1作『23年の沈黙』もかなりオススメです。『ピエロ』とだいぶ雰囲気は違って、静かな闇が迫ってきます。予告編(英字幕付き)。www.youtube.com
インタヴューも踏まえて見直し
映画で重要なのは「ソーシャル・エンジニアリング」の手法
「ソーシャル・エンジニアリング」は、ウィルスなどによるコンピュータのハードウェア攻撃などにはよらずに、実際の社会的場面でパスワードや暗証番号を盗んだりすることを指す。心理操作のみで、人の行動をコントロールして、望みを達成することと言える。
映画では次の場面が該当
・ドーナツ屋でのたかり
・連邦情報局員の犬好きという特性を利用して、パスワードを盗む。
・学食で財布をなくしたと言って侵入
どちらも、相手の心理上の隙に堂々と演技してつけ込むスタイル。
・捜査官の心理につけ込む(同時に観客の心理にもつけ込む(?) )
一番最後の心理戦が、観客である我々も絡んできて難しい。
・捜査官に、ベンヤミンが多重人格だと思わせるソーシャル・エンジニアリング
・この多重人格ソーシャル・エンジニアリングが筋が通っているように観客に思わせるというソーシャル・エンジニアリング
が並行しているのではないかと思われるが、未消化。以下興味のある方向け メモ列挙
スッキリとした解釈があれば是非お教えください。
整理① 映画の中で確実に実際に起こっていること(現実的な記録が残っているだろうこと)
整理② 最後のシーン
整理③ マリー関連シーン検討
整理④ 多重人格演出
『 ファイト・クラブ』を連想させる箇所
折角なのでもう一度見て、『ファイト・クラブ』の連想箇所を列挙。
・ベンヤミンとマックスの対比、正反対のキャラクターという設定が類似
・マックスがタイラー(ブラッド・ピット)のように既存の価値や普通の人間が従っているルールとは違うものを実地で示す。
・マックスがMRXのハッカーの掟を言う言い方が、タイラーのファイトクラブのルールの言い方を思わせる。
・ファイトクラブでは商品社会や労働環境には得られない興奮と生きている感覚が「ファイトクラブ」でダークネットと夜の活動で、クソな社会にはない「楽しみ」「興奮」を示す
・捜査官がベンヤミンの部屋を訪れると、部屋にはファイトクラブのポスターが。
違い
・ファイトクラブでは主人公とタイラーのタッグだが、『ピエロ』ではマックスが中心とは言え、ハッカーチームが仲間。それに伴って、ベンヤミンは二重人格ではなく多重人格という設定になる。
・ファイトクラブではタイラーの魂胆がよくわからないために、悪夢的印象が強くなってくるのに対し、ピエロはマックスの謎要素は薄く、全体的にスッキリしている。
・『ファイトクラブ』ではタイラー以上の大物が出てこないのに対し、『ピエロ』ではMRXというダークネットのカリスマが出てくる。
・『ピエロ』では本体人格のベンヤミンがマリーを好きなのに対して、『ファイトクラブ』では主人公はマラーには基本的に興味なし。
・・・
以上色々検討の余地があるとはいえ、ファイトクラブ云々は多重人格トリックの暗示としては重要だが、この映画自体の解釈にはそれほど重要ではない、と思われる。
『ピエロ』は多重人格をトリックとして用いつつ、実際に多重人格でないのかどうかに関して微妙な疑いを残すところに特徴。『ファイトクラブ』は明確に二重人格。
まとめ
インタヴューも踏まえて、一貫した解釈をなんとかしようとしましたが、ギリギリのところでモヤモヤが残るままに。監督が言うように、解釈の余地をオープンにしてあると言うことなんでしょうが、個人的には「この映画はこう」と言い切りたい気持ちが残ります。
このあたりは、前作『23年の沈黙』での心理劇としてはモヤモヤが残る感じと繋がるような印象。『23年・・・』と違って、『ピエロ』はとりあえず、見たいように見ておくと、最後の爆音テーマ曲とともに気持ちいい感じで終わるので、それでオッケーかも。
いずれにせよ、どちらも一見の価値あり。