心理劇としては弱いが・・・音、構図、演技の素晴らしさは見る価値大! 『23年の沈黙』 バラン・ボー・オダー監督作品
2010年、ドイツ映画
バラン・ボー・オダー監督、出演:ヴォータン・ヴィルケ・メーリング、ウルリク・トムセン、ゼバスティアン・ブロームベルク
ストーリー
「13歳の少女が失踪し、麦畑で自転車が発見された。23年前の同じ日、同じ場所で、自転車に乗った11歳の少女ピアが暴行され殺されていた。事件は未解決のままだったが、元警官クリ山は、同一犯の仕業と確信して捜査に乗り出す。一方、23年前ピアが殺害されるのを傍観していたティモは、町を逃れ名前を変え、すべてを封印して幸せな家庭を築いていたが、今回の事件で忌まわしい過去に引き戻される。吸い寄せられるように町に戻ったティモは、ピアの母親の元を訪ねる・・・」(DVDパッケージより)。
映画のつくり
冒頭10分弱で、23年前の事件の様子が映され、犯人ペア・ゾンマーと犯行を見ていたティモ・フリードリヒの様子が映っている。その後、現在の事件が起こり、上のようなストーリーが展開されていく。
現在の事件の犯人と、23年前の事件の真相に、ティモの回想が織り込まれるかたちで次第に迫っていく構成。同じことの反復なのか、違うのか、反復なのだとしたらなぜなのか・・・といった謎と徐々に明らかになる秘密に目が離せなくなる。
音、画面、切り替えの巧みさ
ショッキングな映像はほとんどなく、音と構図、役者の演技のみで引き付けていく力量はなかなかすごいものである。
この映画で緊張感を高めるのは大体音楽。子供達のエコーにミステリアスなアンビエント音や緊迫音、ピアノの旋律と過去シーンでのベース音など、全部スタンダードをはずれないなものだと思うが、どれも非常に効果的。
画面の効果は、上からの構図、運転者が見えない車の構図、うすら寒い事件とは対照的な自然、構図の反復などによってうまく作り出されている。
電話やメモ帳などを媒介にした場面切り替えもうまい。
心理劇としては・・・
心理劇としては少しすっきりしない。好意的に解釈するなら、完全な心理の説明が難しい多くの現実の事件のようで、むしろリアルに感じると言えるかもしれない。不可解な犯人がその辺にいる感じを観客も想像するので、怖さという意味ではきっちり説明できるものよりむしろ高まる。見終わった後は背筋のうすら寒さが残る。
このあたりは原作の問題かもしれないが、いずれにせよ、すっきりはしていない。ちなみに原作ではフィンランドが舞台だが、映画ではドイツのどこかに場所は変更されている。
俳優たち
主人公ティモ
主人公の23年前の傍観者は、ドイツの俳優ヴォータン・ヴィルケ・メーリングが演じる。現在の事件では真相を追う役に。繊細で弱そうな感じ一本の役。全然気づかなかったが、ファティ・アキン監督の『ソウル・キッチン』では、ワルの敵役だった。ヒルシュピーゲル監督の『エス』では弱い役だったり、振り幅が広い役者。
もう一人の主人公ペア
23年前の事件の犯人で、昔も今も同じ集合住宅の管理人。ドイツの管理人は一通りのものが扱える技師が多いが、そんな感じ。トムセン本人同様、ペアもデンマークから移ってきたという設定。ちょっと押しの強い、かつこちらを見透かしている不気味な感じが妙にリアル。昔同級生や知り合いにいた気がちょっとしてくる。トムセンは『キリング・ミー・ソフトリー』などのハリウッド映画でも活躍。
現在の事件を追う刑事ダーヴィット
ダーヴィットは事件に深く迫っていく刑事。5ヶ月前に妻を癌で亡くし、精神的に参っている。「喪失」について話す場がない。23年前および現在の被害者家族とは、語り得ない喪失を抱えるという点で通じるところがあり、それゆえに事件にものめりこんでいく。役者のブロームベルクはドイツ映画ではよく見る顔である。どんな映画に出ていても、この人が出てくるとそのクセのある顔と声、長身の体躯で画面を支配する。本作は、愚鈍なまでにナイーヴな感じがよいが、ルービック・キューブからのシーンが地味ながらもキャラと被害者との共振を表していてよい。
上の3人の他、被害者家族、ベテラン刑事、嫌な刑事、妊婦の刑事らも皆いい演技をしている。
10年ほど前の映画なのでレンタルでもう置いてないかもしれないが、もし見つかれば一見の価値アリ。アマゾンなどでのレヴューはイマイチだが、ドラマ、映画、演技が好きな人は絶対楽しめるはず。バラン・ボー・オダーはその後、『ピエロがお前を嘲笑う』『スリープレスナイト』を監督。こちらもそのうちレヴュー予定。