「女テロリスト」の波乱の半生 ドイツ映画『レジェンド・オブ・リタ』 フォルカー・シュレンドルフ監督作品 作品とその背景について
2000年、ドイツ映画。『ブリキの太鼓』で有名なフォルカー・シュレンドルフ監督作品。本記事では、映画のポイントを考察、周辺情報をまとめます。
ドイツ語原題は„Die Stille nach dem Schuss“(銃撃の後の静寂)。邦題は英語版タイトル„The Legend of Rita“から
主人公リタのモデルはドイツ赤軍に関わったインゲ・ヴィエット。映画は彼女をモティーフにはしているがフィクションである。1時間37分とコンパクトでみやすい。
映画の導入部、1970年頃の状況と映画の人物描写について
映画は1970年頃の銀行強盗を回想するシーンからはじまる。当時は若者の反政府(元ナチへの批判)・反資本主義運動のピークで、テロリストたちはまだ「義賊」を気取っていた頃である。実際世論の支持も少なくなかった。
『レジェンド・オブ・リタ』は、まだ時代が「反抗の季節」だった頃からはじまる。流れる音楽も軽快に反抗的なロックである。テロリストたちのノリは、大学のサークルに入り浸って大学に行かなくなって就職もしない先輩たちの雰囲気(最近の大学生でそういう人がいるのか知らないが)。中東で軍事訓練を受けたりしている者もいるが、半ば素人で、メンバーの中には実際に人を撃つことなんて考えたこともなかった者も多い。
主人公リタも理想的で観念的には過激かもしれないが実践面では暴力的でなく、無謀な過激化はしない。アンドレアス・バーダーを思わせる恋人を関学から奪還する作戦で運転手を務めたリタは、奪還の際に看守たちを銃撃したことにもショックを受ける。
彼女は以前できた東ドイツの「シュタージ」のコネをたよりにして仲間とともに逃亡することになる。東の秘密警察シュタージがリタの東ドイツでの暮らしを援助していく。
シュタージ映画といえばアカデミー外国語映画賞も受賞した『善き人のためのソナタ』(2006年)が思い浮かぶ。そこでは手段を辞さない冷徹な秘密警察としての性格がまずは前面に打ち出されていたが、『レジェンド・オブ・リタ』に出てくるシュタージは「冷酷無比のイデオロギー機械」のような描き方はされていない。シュタージ役もそれなりに好感をもって見ることができる。
パリでの亡命生活
リタはシュタージの協力でパリで仲間と逃亡生活を送る。テロリストたちの中ではリタは良識的な方であり過激な行動には走らない。反資本主義という自分たちの理念と一貫性のないような銀行強盗には反対し、行動主義的になっていく仲間から離脱。しかし交通違反をきっかけに警官を撃ってしまう。
彼女は再びシュタージの協力をえて、東ドイツに逃亡する。原題の『銃撃の後の静けさ』の銃撃はこれを指しているだろう。リタは東ドイツで静かな生活を送り出す。
東ドイツでの生活
「いつバレるか」という不安に焦点をあてる作りもあっただろうが、観客が目にするのは、そういった部分は面にださずに振る舞う一人の女性である。主役のビビアナ・ベグラウは誰もが認めるような美人ではないと思うが、主人公リタの一人の人間としての魅力をうまく表現している。リタは関わった人物にだいたい好かれていくが、ベグラウは、リタの魅力を自然に体現している。映画としては、美しいヒロイン、可愛いヒロイン、悲劇のヒロインでもなく、一人の人間としてリタを描いているのがよい。
リタに限らず一人一人のひととなりがわかるようになっているところがこの映画の特徴である。全体にウェットな描写ではないが、突き放すようなドライな距離でもない。東ドイツでの職場の同僚女性タチアナと恋愛関係になっていく過程が面白い。同僚は、(半)アルコール中毒の、パンクっぽい危うい女の子だが、彼女のキャラクターもよい。
タチアナはすぐに切れてダメになりそうになるが、一呼吸おいて見守るリタがとても優しい。別れなければならなくなるシーンも普通に切ない。
映画は、再び東西ドイツが統合されるまで、リタを追っていく。 日本ではパッケージ化されていない作品だが、アマゾン・プライムビデオで視聴可能なので、会員で興味があればお勧めです。
作品背景について
主人公のモデルはドイツ赤軍に関わったインゲ・ヴィエット。映画上映時には存命で、自身の自伝をパクられたと裁判を起こしているが、その後和解。詳しくは下記のドイツ語版ウィキペディアの拙訳を参照。
劇中の仲間の奪還作戦のところは、バーダー・マインホフ・グループの事件を基にしている。女性ジャーナリストだったウルリケ・マインホフが「テロリスト」になるきっかけの事件である。
ドイツ語版Wikipediaの拙訳 作品の背景
1980年以来、赤軍派(RAF)陣営とその周辺の武装蜂起を断念した人々の中の10人が、東ドイツに暮らしだした。「RAF離脱者」は、東ドイツ当局から新たな経歴を与えられ、国家安全省(シュタージ)の助けによって定住した。作品の脚本の中の多くのモティーフは、インゲ・ヴィエトの生活にならって作られたが、ジルケ・マイアー=ヴィットやズザンネ・アルブレヒトたちの経験も取り入れられている。インゲ・ヴィエトは、脚本作家の二人(監督でもあるフォルカー・シュレンドルフとヴォルフガング・コールハーセ)を、1997年に出版された彼女の自伝『私は恐れを知らない者などではなかった』の多くを用いていると非難した。両陣営は、法廷外で合意に達することができた。雑誌『シュピーゲル』のクリスティアン・モーレス・カウプはこのことについて次のようにコメントしている。「彼女の人生は、シュレンドルフと脚本家のヴォルフガング・コールハーセの精緻な調査の中に、取り入れられたかもしれないが、一致するのは、リタの東ドイツでの生活が始まるところまでである。労働者と農民の国で印象的に演じられる女性アナーキストのフィクショナルな体験は、詳細に忠実な政治的現実の残像よりも、本質的に緊張に満ちたものになっている」。このことによって、この映画は「ドグマ的ではなく、ときにはユーモアにも満ちた軽快さ」を獲得した、とモーレス・カウプは続けている。
『銃撃の後の静けさ』は、有限会社「バベルスベルクフィルム」の指揮のもと、中部ドイツ映画センターと、中部ドイツ放送との共同制作とアルテ・ドイツ・テレビの協力によって成立した。撮影は、1999年9月半ばから12月初頭まで、ベルリンとパリ、ゲーラとその周辺、リューゲンとバルト海沿い、およびポツダムにあるバベルスベルクの撮影スタジオにて行われた。制作費はほぼ500万マルクだった。最初にドイツでテレビ放映されたのは、2003年9月のアルテの番組においてだった。
https://de.wikipedia.org/wiki/Die_Stille_nach_dem_Schuss
監督フォルカー・シュレンドルフの他作品について
フォルカー・シュレンドルフは1939年生まれ、1966年にローベルト・ムージルの小説を映画化した『若いテルレス』で初めて長編映画を監督し、1960〜70年代にドイツ映画会で活躍する。1979年発表の、ギュンター・グラス原作の『ブリキの太鼓』はカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞し、またアメリカのアカデミー外国語映画賞も受賞。
『ブリキの太鼓』では3歳で成長をとめた主人公オスカルの視点でダンツィヒの或る一家が、20世紀初めからナチス時代を通じてどうなっていくのかがつづられる。オスカルの「叫び」でガラスが破壊されるという設定もあるのだが、その破壊シーンはインパクト大。ドイツ映画『ラン・ローラ・ラン』でパロディされたりもしている。
『ブリキの太鼓』はU-Next会員登録で無料視聴可能。U-Nextは、ドイツ映画もけっこう豊富で31日間無料トライアルもできるのでオススメ。
『ブリキの太鼓』に関しては過去記事で楽しむための予備知識紹介もしてますので、よかったらご覧ください。
ドイツ映画では、文芸原作作品が予算を獲得しやすいという事情もあって、シュレンドルフ作品では文芸原作が目立つ。上述の『若きテルレス』のほか、ハインリヒ・フォン・クライストの『ミヒャエル・コールハース』やマックス・フリッシュの『ホモ・ファーベル』を映画化。アメリカでもアーサー・ミラーの『セールスマンの死』などを映画化している。
シュレンドルフは、文芸もの以外でも、ドラマづくりがうまい監督。 U-Nextやプライムビデオで、ドイツ占領下のフランスでのレジスタンスにまつわる実話をベースにした『シャトーブリアンの手紙』が視聴可能だが、これも地味に良作。
別記事でポイントまとめたので興味あれば是非ご覧ください。
ドイツ赤軍(RAF)関連映画
赤軍関連映画では『バーダー・マインホフ 理想の果てに』が有名かつ名作。ドキュメンタリー・タッチで緊迫感がすごい。2009年アカデミー外国語映画賞ノミネート作品。
『リタ』とはだいぶコンセプトが違いますが、こちらもオススメです。一人に寄り添う感じではなく赤軍派のメンバーの群像劇になっています。