メナーデのドイツ映画八十八ケ所巡礼

メナーデとは酒と狂乱の神ディオニュソスを崇める巫女のことです。本ブログではドイツ映画を中心に一人のメナーデ(男ですが)が映画について語ります。独断に満ちていますが、基本冷静です(たまにメナーデらしく狂乱)。まずは88本を目指していきます。最近は止まっていましたが、気が向いたときに書いております。

スマパンとイエモン、1979の思い出

スマッシング・パンプキンズ、日本での略称スマパン

90年代に一世を風靡するも、絶頂期のツアー厨二ドラマーのジミー・チェンバレンがドラッグで解雇になったあたりから徐々にボロボロな感じになって2000年に解散(ジミー抜きの『アドア』もいいアルバムだが)。その後再結成してはたびたびメンバーを変えながら、現在も活躍中。

 

ザ・イエロー・モンキー、略称イエモン

同じく日本で90年代中頃にブレイクし、98年の『パンチドランカー』あたりからファン以外での人気が下火に。イケてる感がなくなって、バンド(主にボーカルの吉井和哉)はそれにもがきながら解散。こちらも最近再結成して、活躍中。

 

この二つをつなぐものは直接的にはあまりないが、おそらくルーツとなる音楽(デヴィッド・ボウイハード・ロック(チープトリックなどのキャッチーなものも含む)を経て80年代のニューウェイブも意識したりとか)がおそらく近い。イエモンの方はスマパンへの親近感を一時期公言していて、活動休止前の名曲『パール』のギターフレーズが、スマパンの『トゥナイト・トゥナイト』の「オマージュ」になっている。

パール

パール

 

 スマパンのビリーコーガンはイエモン のことは知っているだろうか? おそらく知らないだろう。だが、パールのようなオマージュがなされていると知れば、嬉しくなくはないのではないかと思う。パールのギターフレーズはtonight tonightと同じメロディーを繰り返し奏でる。歌詞も共振していて、『tonight tonight』の裏面と言える。スマッシング・パンプキンズのtonight tonightはバンドが絶頂のときの曲で、リスナーに向かって「今夜不可能は可能になる」と信じてくれと歌いかける。『パール』では夜は足搔く時間で、不可能は可能にはならない。だけど夜は、「不自由を嘆いている自由がここにある」時間である。ボーカル吉井和哉は、少なくとも最初は自分自身のためにこれを歌っている。だが、その自分の感情が、リスナーにも共有されるものだということも知っている。葛藤の中で突き抜けようとしたり、希望を探したりする感じは、テレビのヒーローだけのものではない。おそらく多くの人が少なからず感じたことがあるものだ。ロックスターの吉井和哉は、自分の個人的な感情から発したものを、みんなもそれはわかるだろと目配せをしながら、昇華させる。「種は撒くのに花はなかなか・・・」といったフレーズを例えば仕事に向かうときに聞くと、目頭を熱くさせられる。吉井和哉は、単にボーカリストとしてみたら突出してはいないだろうが、多くの人の実感を、引き受けて昇華させる霊媒師的な才能が突出している。


THE YELLOW MONKEY – パール

 

イエローモンキーの曲で最初に耳に入ってきたのは、ラジオから流れるLove Communicationあった。この曲は、「売れるぞ」という意志を持って作られた曲でキャッチーかつ、しかし挑発的でもあって、中学に入ったばかりの少年にとっては、めちゃめちゃ刺激的だった。二番のAメロに入ったと思うや否や「まるで我が身はむせび泣くギター」でギターソロに流れ込む展開が、すごいカッコいいと思ったのを覚えている。だが、この時は心のバンドではなく、なんかカッコいいバンドだった。歌詞が軽薄な感じで、心を預けるという感じではなかった。「追憶のマーメイド」も「太陽が燃えている」も同じで、曲も歌もとても好きだったが、心を掴まれる感じはなかった。なんか、怪しげでカッコいい。歌がいい、曲がいい止まりだった。

アルバムで最初に買ったのはFour Seasonsだった。一曲目のタイトル曲や最後の空の青と本当の気持ちなどは、心に触れるいい曲なんだろうなと中学生の私は思った(実際に心に響くのはもっと後のことだった)。だが、そこまでの衝撃はなかった。衝撃は『jam』とともにきた。深夜起きている時は、オールナイトニッポンまで聞いていた。吉井和哉は当時パーソナリティーで、たまに聞いていた。話の内容はほとんど覚えていないが、ユーミンと仲良しな印象だけは覚えている。イエローモンキーは曲はいいけど、なんかチャラチャラ、フニャフニャして調子に乗ってんなあくらいの感じだった。そんな中たまたまラジオを聴いているときに、いわくありげな感じでjamをかけだした。最初は、なんかカッコつけちゃってと思っていたが、聴いているうちに引き込まれていった。「飛行機が落ちました」の下りに訳も分からず涙したのを覚えている。当時の自分は部活の人間関係などでうまくいかず、どうしていいか分からずにいたが、その時の気分と妙にシンクロした。聴いているうちに心に響くフレーズが散りばめられているのに気づき、このバンドについて行こうと思って、昔のアルバムも買い漁った。

 

ボーカル吉井和哉(大半の作詞作曲)の表現は、売れる前も、売れた時も、売れた後も、葛藤や矛盾を昇華させるという方向性においてブレがない。初期は葛藤というよりは、内向する情念や諧謔の昇華といった方が適切かもしれない。あとは少年の時や、恋人とのふとした瞬間のきらめきや切なさへのノスタルジーが一貫している。このあたりは演歌などにも通じてカッコいいかダサいかでいうとダサいが、心臓を掴まれるような感じがある。このあたりは、初期ではシルクスカーフに帽子のマダムだったりフリージアの少年だったり『ジャガー・ハード・ペイン』の兵士の物語だったり、ある情景を描き出して託す形であったのが、売れて以降はもう少しストレートになっている。

『パール』はJam、Spark、楽園、Burnなどで栄光を掴んだ後、伸び悩み、ロングツアー「パンチドランカーツアー」で疲弊して、世間的にもちょっと翳りが感じられた、バンドがもがいている時期の曲。当時はあんまり売れていないと思うが、イエモン的には珍しいストレートなビートで葛藤を昇華した名曲。この時期の曲は名曲が多い(バラ色の日々、聖なる海とサンシャイン、そしてパール)。残念ながらその後活動休止・解散。2016年に再結成。

 

Smashing Pumpkins(日本での略称スマパン)は、洋楽勉強中にたまたま出会った。 現在どうなのか知らないが、90年代は洋楽と邦楽の区別がけっこうはっきりしていて洋楽の方がカルチャーとしては上というのが一般的な認識だったと思う。私は中高生の頃はイエローモンキーやブランキー・ジェットシティーといった日本のロックにハマっていて、歌詞も含めて自分の心に響くものが好きだった。バンドでドラムをしていたが、音の好き嫌いはわかるにせよ、音そのものを分析的に捉えることはしていなかった。

 

洋楽は英語がパッと理解できない以上、歌詞での感動ということは努力なしにはなかったからそもそもそこまで関心が向かなかった。聞くようになったのはイエモン吉井和哉がルーツとして洋楽について語っていたからということと、当時在籍していた軽音楽部の先輩による抑圧効果であった。当時の感じとしてはブランキーはパンク的要素もあってカッコイイものという共通認識があったが、イエモンの方は「音楽通」には鼻で笑われる感があった。イエモンは自分の中では絶対的に良かったのだが、自分の実感として好きなのは間違っていないにせよ、他のものも聴いた上で好きと言えないとダメなのではないかということで、色々と聴きあさる日々が続く(ドレスコーズの志摩氏も同じようなことを言っていたが、こういう感じを持っている人には共感する)。洋楽とかいうけど、それだけで崇めたりしないというスタンスで色々聞く中で、スマパンは、結構スッと心に入ってきたバンドだった。

 

一番最初に借りたのが確か2ndのサイアミーズ・ドリーム。レンタルしてきてパソコンで再生して聴いたのを覚えている。「ギターの歪みが虫の羽音みたいなバンド」というのが第一印象だった(cherub rock, quiet, rocket, geek u. s. aあたり)。音は聞いたことがない感じだったけど、メロディがすっと入ってきて「洋楽もけっこういいな」と思った記憶がある。二周目も聞いていくとハードさの中に明らかに魔法みたいにセンチメンタルな要素がちりばめられていて好きになっていった。somaとmayonaiseが良かった。 

 

サイアミーズ・ドリーム

サイアミーズ・ドリーム

 

 

借りてきたのが、ちょうど『マシーナ』が出て、たしかすでに解散が決まっていたところだった。『メロンコリー』を次に借りて、これはどっぷりハマった。gishはsivaなどを好んで聞いていた。マシーナは中古で安く買った。テレビで一曲目のEverlasting Gazeのビデオを見た記憶がある。これは素直にカッコいい曲だが、ビリーがエイリアンみたいだった。ロッキンオンでビリー・コーガンの解散の弁(ブリトニー・スピアーズとリンプ・ビズキットが流行る中では自分たちは理解されないといったような話)を読んだ。インタヴューなどを読むと、色々大変な感じが伝わってきた。インターネットで『マシーナ2』が無料配信されていたが、まだネットでのダウンロードは心理的にハードルが高くてできなかったことを覚えている。

 


The Smashing Pumpkins - The Everlasting Gaze

 

この頃、イエモンにせよスマパンにせよ、人気の凋落の中で足掻く様に非常に惹かれた。半官びいき的な感情の典型かもしれない。どちらのバンドも他のバンドやそのファンからディスられていた。それを見るにつけ、いよいよ応援したくなった(絶頂期のスマパンをディスってたペイブメントなどはけっこう好きである)。

 

ジョジョの奇妙な冒険』ではないが「能力者」同士は引かれ合う。現実で惹かれ合うのはスタンド使いではなく陰キャラたちである。大学生の頃のクラスの友達は、最初の飲み会や学祭で盛り上がり損ねた陰キャラたちだった。一番中のよかった一人と深夜ドライブするときに、自家製編集カセットテープから流れるスマパンの「1979」を聞いて、それまでの曲には何もコメントしていなかった友達が冗談めかしながら「俺たちのテーマソングやないか」と言った。私は、何もコメントできなかったが、とても嬉しく、「わかるもんだなあ」と不思議に納得した。

 

彼が今何をしているのかは知らないが、大学は中退した。

1979はビデオがとてもよいので未見の方は是非。

 


The Smashing Pumpkins - 1979 (Official Video)

 

 1979年はボーカルのビリー・コーガンが12歳になる歳だが、特に何かがあったというわけではないらしい。語呂がよかったのだろうが、1969年や1984年みたいに、歴史的意味などが付与されていないのがむしろ重要だろう。ティーンエイジャーの無軌道な疾走と焦燥、不信と希望の感覚は1979年には生まれていなかった私にも伝わる。サイアミーズが売れた後で増えたティーンエイジャーのファンに向かって歌っているところがあるのかもしれない。シングルではないがHere is no whyもデスロックボーイについての名曲(この曲はギターのキレがよくて重ねもパワフルで気持ちいい)。

 

メロンコリーそして終りのない悲しみ

メロンコリーそして終りのない悲しみ

 

 

1979に戻ると、基本はシンプルなつくりなのに、ベルやシンセ、エコーのかかったボーカルなどを重ねることで、浮遊感と広がりが出て名曲になっている。次の動画が、重ねパートについてバラして聞かせてくれて、解説してくれる。

 


What Makes This Song Great? Ep.23 Smashing Pumpkins

 

言われてあらためて気づいたが、オープニングのギターリフが二つに分かれていて、前半部のギターにうっすらボーカルがのっかっている。これが実は本体で、普通に入ってくる歌がそれへのアンサーになっているという見方が面白い。実際、歌単体だけで聞くとビリー・コーガンはめちゃめちゃ上手いとは言えないので、重ね効果が効いているというのはあらためて納得。

メロンコリーの他の曲でも音を重ねている部分の効果が大きいけれども、1979の場合、うっすら聴こえてくる音が、過去の夢みたいな記憶のメタファーのようにも感じられる。そのあたりが聞き手の琴線に触れる秘密ではないかと思われる。

 

スマパンの曲には細部の一音や一フレーズ、一ラインが決定的に効果的なものがちょいちょいあります。メロンコリーの曲については、デモなどと比較すると面白いと思うので、また書きます。